1226年 (嘉禄2年 丙戌)
 
 

4月4日 戊子 霽
  如法経御奉納。右大將家・右府将軍・二品、三ヶ法華堂各々一部なり。また相州故二
  品追善の奉為、大倉新御堂の郭内に於いて三重の宝塔を建立し奉る。今日事始めなり。
 

4月10日 甲午
  河越の三郎重員武蔵の国留守所惣検校職に補せらる。これ先祖秩父出羽権の守以来代
  々補し来たると。
 

4月19日 癸卯
  相州建立せらる三重の塔、今日卯の刻立柱と。
 

4月20日 甲辰 晴
  戌の刻御所中騒動す。武蔵の国御家人沼田の四郎父子・白井の太郎父子、忽ち闘諍を
  起こし互いに殺害しをはんぬ。聊か宿意有りと。
 

4月27日 辛亥 晴
  未の刻大地震。占文の推す所、旬を出ず兵革有るの由、陰陽道等大夫将監親實を以て
  御所に申す。また武州に参り申すと。
 

4月30日 甲寅 陰
  騒動有り。人々甲冑を着し御所に参る。然れども程無く落居せしむ。これ白河関謀叛
  の輩有り。在国の御家人等聊か合戦を致すの由、飛脚参上するが故なり。