1227年 (嘉禄3年、12月10日 改元 安貞元年 丁亥)
 
 

11月4日 己卯 晴
  御所の女房阿波の局卒去す。武州の大叔母なり。三十箇日の御軽服有るべきに依って、
  御亭を避け尾藤左近将監入道道然の家に移らしめ給うと。
 

11月6日 辛巳
  酉の刻大地震。左近大夫将監親實の奉行として、連々の地震の事驚き思し食され、善
  政の篇目と云い、御祈祷の事と云い、意見を進すべきの由、諸道に仰せらると。

[明月記]
  申の時ばかり室町殿に参る。右大臣殿見参す。行兼明暁関東に下向するの間、殿下出
  御せず。
 

11月9日 甲申
  贄殿の足竈鳴る。火事に御慎み有るべきの由占い申すと。
 

11月15日 庚寅
  日来天変地妖相続き、並びに赤斑瘡流布するの間、今日御祈り等を始行せらる。
   薬師護摩(大進僧都)     千手護摩(丹後僧都)
   十一面護摩(加賀律師)    馬頭護摩(若宮別当)
   如意輪法(越中阿闍梨)    不空羂索法(宰相律師)
 

11月16日 辛卯
  御祈り等を行わる。
   三万六千神祭(晴賢)     天地災変祭(国継)
   月曜祭(親職)        歳星祭(晴幸)
   鎮星祭(泰貞)        螢惑星祭(文元)
 

11月17日 [皇帝紀抄]
  豊明節会なり。天皇出御無し。御薬の後、未だ御湯殿無きが故なり。
 

11月18日 癸巳 晴
  巳の刻以後将軍家御不例。今日、御所の御持仏堂に於いて御護仏を図絵せらる。周防
  の前司親實これを奉行す。
 

11月19日 甲午 晴
  御不例の御祈りとして、土公鬼気の御祭等を始行す。今日御衰日たりと雖も憚られず。
  明日悪日たるに依ってなり。
 

11月20日 乙未 晴
  御不例増気す。仍って去る十六日未役の輩に仰せ、七座の泰山府君祭を行わる。所謂
  晴職・晴茂・重宗・宣賢・晴俊・晴秀・道継等これを奉仕す。進士判官代奉行なり。
 

11月21日 丙申
  御不例の事、今日ただ同躰に御すと。
 

11月22日 丁酉
  御祈りの為、常陸の国鹿嶋宮に於いて仁王経並びに信読の大般若経を講読せらる。御
  神楽を行わるべきの由その沙汰有り。信濃民部大夫入道行然の奉行として、今日社家
  に仰せ遣わす。来二十八日始行すべしと。夜に入り鬼気・招魂祭等を行わると。
 

11月23日 戊戌
  将軍家赤斑瘡出現し給う。仍って今日重ねて無為の御祈り等を行わる。神馬を鶴岡宮
  に奉らる。また御所に於いて七座の泰山府君祭有り。晴賢・泰貞・重宗・文元・宣賢
  ・親貞・道継等これを奉仕す。凡そ去る月下旬の比より赤斑瘡流布す。貴賤免かれず。
  上下皆これを煩わしむ。京都同前と。今月八日主上この御悩有りと。
 

11月24日 己亥
  御不例殊に御辛苦。仍って重ねて御祈り等有り。伊豆・箱根・三嶋各々奉幣有るべし。
  大和右衛門の尉久良・遠藤左近将監為俊を以て御使と為し、御劔等を奉らる。共に以
  て今暁進発し明日参着せしむの様鞭を揚ぐべきの由、御旨を含むと。また秘法等を修
  せらる。
  五壇法
   中壇不動明王(弁僧正)    隆三世明王(大進僧都)
   軍茶利夜叉明王(信濃法印)  大威徳明王(加賀律師)
   金剛夜叉明王(宰相律師)   炎魔天供(丹波僧都)
   北斗供(珍誉)        当年星供(珍瑜)
  夜に入り属星祭を始行す。親職これを奉仕す。
 

11月25日 庚子
  今夜、七座の招魂祭・天冑地府・泰山府君祭等これを行わる。祭料は結城左衛門の尉
  ・土岐左衛門の尉・廣澤の三郎等沙汰しこれを進す。
 

11月28日 癸卯 晴
  御不例聊か御少減と。今日御持仏堂に於いて御護仏を供養せらる。導師は弁僧正定豪。
  布施以下の事、民部大夫入道行然奉行たり。
 

11月29日 甲辰
  御不例御減。諸人安堵すと。権侍医良基医術の効験を施すが故なり。