2月5日 甲辰
申の刻地震。
2月11日 庚戌
武州の御亭に於いて、走湯山造営の事その沙汰有り。当山管領の仁浄蓮房参上す。陰
陽師を召し日次を定めらる。三月五日事始めたるべきの由、親職朝臣以下四人これを
撰び申す。盛綱奉行たり。
2月17日 丙辰
戌の刻大地震。
2月20日 己未 晴
竹の御所並びに武州の室三浦三崎の津に出でしめ給う。これ駿河の前司義村来迎講の
儀を構うべきの由これを申すに依ってなり。
2月21日 庚申(彼岸初日) 天霽風静まる。
三崎の海上に於いて来迎の儀有り。走湯山の浄蓮房駿河の前司の請いに依って、この
儀を結構せんが為、兼ねてこの所に参り儲く。十余艘の船を浮かべ、その上に件の構
え有り。荘厳の粧い夕陽の光に映え、伎楽の音晩浪の響きを添うなり。事訖わり説法
有り。その後御船を召され、嶋々歴覧し給う。
[俳諧三崎志]
歌舞島 安貞三年、駿河の前司歌舞を催せし所なり。
梵天島 昔一僧此に来たり法を修す。
拝之台 安貞中歌舞来迎の時、里民此処より遙拝す。因って名づく。
2月22日 辛酉 晴
竹の御所已下三崎より還御す。駿河の前司兼ねて四郎家村を杜戸の辺に遣わし、御駄
餉を儲く。善を尽くし美を極むものなり。黄昏に及び武州の御亭に入御す。凶会日た
るに依って、竹の御所今夜御止宿なり。
2月23日 壬戌
竹の御所本所に還御す。武州贈物を献ぜらる。御共の人々皆これを賜う。
2月24日 癸亥 晴
巳の刻、将軍家御不例と。
2月25日 甲子 晴
今夜御不例の御祈りを始行せらる。泰山府君・呪咀霊気等の御祭と。