5月5日 壬申
鶴岡の神事なり。将軍家御参無し。陸奥の五郎奉幣の御使いたり。
5月6日 癸酉 天晴陰 [明月記]
山上の宣旨到来す(左衛門の尉為清・兵衛の尉流罪無し)。衆徒また群参議定すと。
少年等猶兵衛禁獄の由申すと雖も、老僧等制止すと。
5月10日 丁丑 天晴 [明月記]
日入るの程俊僧都来参す。為清・□□二人日向の国に流すべきの由関東申すと。同国
然るべからざる事か。衆徒申す旨有りと雖も、老僧等制止を加え、大略落居するかと。
5月15日 壬午 雨降る。終日休止せず。子の刻晴に属く
月蝕正現す。御祈り、薬師護摩(大進僧都)、一字金輪(信濃法印)、八字文殊(宰
相律師)、愛染王(若宮別当)。
5月21日 戊子 晴
巳の刻、犬の糞御所常の御座の畳の上に懸かると。御占いを行わるの処、病事を慎み、
口舌を聞こし召すべきの由、晴賢・晴茂・国継連署の勘文を献ると。
5月23日 辛卯
今日評定以後、相州・武州・駿河の前司・後藤判官・信濃民部大夫入道等御所に参ら
る。将軍家扇を召し出し、彼の人々の中に置かしめ給う。各々目増の勝負を以てこれ
を賜う。当座の興なり。