1229年 (安貞3年、3月5日 改元 寛喜元年 己丑)
 
 

6月3日 己亥 天晴 [明月記]
  今日聖法印説法の聴聞衆、また群集すと。この上人は関東の武士、承久三年戦場に在
  り。また佐渡の御共に参る。発心出家し入洛す。また天王寺に参り、此の如き事を勧
  進すと。
 

6月14日 庚戌 天晴
  戌の刻地震。
 

6月19日 [皇帝紀抄]
  流人宣下の事有り。武士左衛門の尉三善為清(日向に流さる)、前の左兵衛の尉大江
  貞知(大隅に流さる)。これ四月日吉の神人等と闘諍の輩なり。
 

6月20日 丙辰
  鶴岡の臨時祭なり。将軍家(御束帯・御車)御参宮。陸奥の四郎御劔を持つ。狩野籐
  次兵衛の尉御調度を懸く。新判官基綱供奉すと。
 

6月24日 庚申 天晴 [明月記]
  人云く、基綱また入洛す。仍って大除目有るべしと。
 

6月25日 辛酉 晴
  左大臣法印定親鶴岡別当職に補す。これ師匠定豪僧正悔還し定雅これを獲ると。
 

6月26日 壬戌
  未の刻小地震。
 

6月27日 癸亥 陰
  今日馬場殿に於いて、小山の五郎長村・駿河の次郎泰村・同四郎家村・宇都宮四郎左
  衛門の尉頼業・氏家の太郎・小笠原の六郎時長等、流鏑馬・遠笠懸等を射る。将軍家
  出御有り。武州以下人々群参す。その中小山・三浦の兄弟・小笠原等作物等を射尽く
  す。長村七違取止、泰村四六三遠立、家村八的、時長三尺取止等と。面々の堪能感興
  を催す。縡すでに晩景に及び、将軍家聊か御心神違乱の間入御すと。
 

6月28日 甲子 晴
  将軍家の御不例頗る御辛苦、戌の一点御少減と。
 

6月29日 乙丑 晴
  六月祓い、晴賢これを奉仕す。駿河の守陪膳に候す。周防の前司奉行たりと。