1229年 (安貞3年、3月5日 改元 寛喜元年 己丑)
 
 

11月2日 丙寅 天晴 [明月記]
  東大寺の僧綱已下群参す。周防の国を給わざれば帰寺すべからず。僧徒逐電し、本寺
  門戸を閉ざすべきの由申すと。末代僧徒嗷々す。恒規に非ざるか。明後日御奏聞、勅
  答に仰せらるべきの趣仰せ合わさる。
 

11月3日 丁卯 晴
  天変の御祈り等を行わる。今日武州三嶋社神事の精進を始めらると。
 

11月6日 庚午 天晴 [明月記]
  高野の僧徒すでに合戦に及ぶと。言い足らざる事か。夕宰相来たり、東大寺の僧また
  相門に集会すと。訴訟の儀、左道の恒規に背き、仏法の為不便の由、且つは教訓の詞
  を加えられ、頗る承伏し退出すと。
 

11月14日 戊寅 天晴
  今夜月蝕、皆既。月の輪更に見えず。ただ雲覆うに似たり。先々多く皆既蝕有りと雖
  も、未だ今の如き例有らずと。
 

11月17日 辛巳 雨降る
  江嶋明神託宣有り。崇敬の族に於いては福田を授かるべきの由と。仍って道俗群を成
  すと。
 

11月18日 壬午
  武州伊豆の国三嶋社に参り給う。今暁進発す。これ来二十一日彼の祭たるに依ってな
  り。
 

11月20日 甲申
  御所に於いて御鞠会有りと。
 

11月24日 戊子
  武州三嶋社より帰着せらる。戌の刻に及び御所に参る。奉幣無為の由を申し給うと。
 

11月26日 庚寅 晴
  今日、右大臣家御追善の御塔の材木杣入りなり。駿河の国富士郡に仰せ下さる。これ
  去る三日たるべきの由兼ねて定めらるると雖も、三嶋の神事に依って延び今日に及ぶ
  なり。
 

11月27日 辛卯
  内藤判官盛時の事関東の出仕を止むべきの由、去々年定められをはんぬ。而るに連々
  愁い申すと雖も、去年八月以後盛時重服の間在国す。その沙汰無きに依って、今日宥
  め仰せらると。