1229年 (安貞3年、3月5日 改元 寛喜元年 己丑)
 
 

12月4日 戊戌
  去る夜より雨降る。辰の時雷鳴数声、耳を驚かし魂を鎖すと。

[明月記]
  定修云く、探題隆承の党、三尺の劔を抜き四方の人を追い、道場に昇り猶堂上の人を
  斬らんと欲す。濫悪の所為古今未だ聞かずと。兵具禁制の最中、器に非ざる探題の所
  為甚だ不便か。此の如き事尤も禁遏せらるべきや。
 

12月10日 甲辰 晴
  去る四日の雷電に依って、世上の御祈りの為、近国一宮に奉幣の御使を立てらる。相
  模の国は駿河の守、武蔵の国は武州の御使、上野の国は相模の五郎時直、安房の国は
  駿河の前司義村、上総の国は足利の五郎長氏等なり。各々神馬・御劔等を進せらる。
  また社壇に於いて大般若経を転読すべきの由、別当等に仰せらる。助教師員・弾正忠
  季氏等これを奉行す。
 

12月13日 丁未
  子の刻助法印珍誉の住坊焼亡す。
 

12月17日 辛亥
  武州御書を右近将監好氏に遣わさる。これ和琴の秘曲を美濃澤右近二郎に授くの由申
  し送るの間、神妙の趣賀せらるる所なり。この曲の事、先日南條の七郎次郎に相伝せ
  しむべきの旨仰せ遣わさるるの処、母の所労に依って帰参するの間、美濃澤たるべき
  の由仰せられをはんぬ。
 

12月19日 癸丑
  亥の刻大地震。

[明月記]
  蘭林坊に入る所の盗武士の為搦めらる。此の如き事尤も賞に行わるべきの由申せらる
  る所なり。
 

12月21日 乙卯
  変異等の事に依って、御祈りを始行せらる。
 

12月25日 己未
  今夜窟堂下の辺焼亡す。時に風烈しく余焔飛ぶが如し。若宮大路・甘縄等の人屋に至
  る。
 

12月26日 庚申
  地震に依って、御祈り等を始行すと。
 

12月27日 辛酉 終夜雪下る
  武州の御亭に於いて、将軍家明春の二所御神拝等の事その沙汰有り。信濃民部大夫入
  道行然これを奉行す。
 

12月29日 癸亥
  明年の二所御奉幣の事、重ねて評議に及ぶ。御参有るべきか、御使を用いらるべきか
  の両儀なり。遂に御代官たるべきの由これを定めらると。