12月4日 戊戌
去る夜より雨降る。辰の時雷鳴数声、耳を驚かし魂を鎖すと。
[明月記]
定修云く、探題隆承の党、三尺の劔を抜き四方の人を追い、道場に昇り猶堂上の人を
斬らんと欲す。濫悪の所為古今未だ聞かずと。兵具禁制の最中、器に非ざる探題の所
為甚だ不便か。此の如き事尤も禁遏せらるべきや。
12月10日 甲辰 晴
去る四日の雷電に依って、世上の御祈りの為、近国一宮に奉幣の御使を立てらる。相
模の国は駿河の守、武蔵の国は武州の御使、上野の国は相模の五郎時直、安房の国は
駿河の前司義村、上総の国は足利の五郎長氏等なり。各々神馬・御劔等を進せらる。
また社壇に於いて大般若経を転読すべきの由、別当等に仰せらる。助教師員・弾正忠
季氏等これを奉行す。
12月13日 丁未
子の刻助法印珍誉の住坊焼亡す。
12月17日 辛亥
武州御書を右近将監好氏に遣わさる。これ和琴の秘曲を美濃澤右近二郎に授くの由申
し送るの間、神妙の趣賀せらるる所なり。この曲の事、先日南條の七郎次郎に相伝せ
しむべきの旨仰せ遣わさるるの処、母の所労に依って帰参するの間、美濃澤たるべき
の由仰せられをはんぬ。
12月19日 癸丑
亥の刻大地震。
[明月記]
蘭林坊に入る所の盗武士の為搦めらる。此の如き事尤も賞に行わるべきの由申せらる
る所なり。
12月21日 乙卯
変異等の事に依って、御祈りを始行せらる。
12月25日 己未
今夜窟堂下の辺焼亡す。時に風烈しく余焔飛ぶが如し。若宮大路・甘縄等の人屋に至
る。
12月26日 庚申
地震に依って、御祈り等を始行すと。
12月27日 辛酉 終夜雪下る
武州の御亭に於いて、将軍家明春の二所御神拝等の事その沙汰有り。信濃民部大夫入
道行然これを奉行す。
12月29日 癸亥
明年の二所御奉幣の事、重ねて評議に及ぶ。御参有るべきか、御使を用いらるべきか
の両儀なり。遂に御代官たるべきの由これを定めらると。