1230年 (寛喜2年 庚寅)
 
 

1月1日 甲子 天晴、晩に及び雪降る。二寸余り積もる
  今日椀飯例の如し。
 

1月3日 丙寅 晴、深更雪降る
  戌の刻御所の南淡路の前司宗政の宅失火す。他所に及ばず。
 

1月4日 丁卯 晴
  将軍家御行始め。武州の亭に入御す。巳の刻御出で(御布衣・御車)。越後の守・駿
  河の守・壱岐の前司・出羽の前司家長・周防の前司親實等供奉す。酉の刻還御の期に
  及び、御引出物等を進せらる。御劔は大炊の助有時主これを持参す。砂金(裹色々薄
  様、銀の打敷に置く)は陸奥の四郎政村主、羽櫃(蒔絵)は左近大夫将監佐房なり。
   一の御馬(蒔鞍を置き、総鞦を懸く)越後の太郎光時主 尾藤太景氏
   二の御馬(銀鞍を置く) 陸奥の五郎實泰主 平三郎左衛門の尉盛綱これを引く
 

1月5日 戊辰 夜雨止む [明月記]
  御前に出候の間、中納言参り、関東両人の書状を進す。時房・泰時各々別の書状なり。
  共に阿野少将の上洛、この人申せらる事、便宜に付け然るべきの様披露有るべきの由
  なり。少将實直の事と。
 

1月7日 庚午 天晴
  将軍家竹の御所に入御す。
 

1月8日 辛未
  十四日方違えの為入御有るべきの由、相州に仰せらる。御使は助教師員と。
 

1月10日 癸酉 雨降る
  将軍家鶴岡八幡宮に御参り。相州・駿河の守・陸奥の四郎・大炊の助・三浦駿河の前
  司・中條左衛門の尉以下供奉すと。鶴岡より還御の後、先ず椀飯の儀有り。次いで御
  弓始めなり。
   一番 結城の七郎     本間太郎左衛門の尉
   二番 岡部左衛門四郎   吉良の次郎
   三番 横溝の五郎     内藤左衛門六郎
 [竹の御所御行始め。武州の第に入御すと。]
 

1月14日 丁丑
  将軍家御方違えの為相州の亭に入御すと。
 

1月15日 戊寅
  相州の第より還御す。
 

1月16日 己卯
  将軍家二所の御精進始めなり。
 

1月17日 庚辰 晴
  竹の御所御方違えの為駿河入道行阿の宿所に渡御すと。
 

1月20日 癸未
  大炊の助有時二所奉幣の御使として進発すと。
 

1月25日 戊子
  大炊の助二所より帰参すと。
 

1月26日 己丑
  武州公文所に於いて、武蔵の国太田庄内の荒野新開すべき事その沙汰有り。尾藤左近
  入道(道然)これを奉行すと。