1230年 (寛喜2年 庚寅)
 
 

7月1日 庚寅 天晴 [明月記]
  対馬の前司能重(親能法師子)相国の御使として病を訪わんが為馳せ下る。十七日下
  着。十八日夕終命。二十三日出国。今日京に着く。武州歎息、義村頻りに諫言すと。
 

7月3日 壬辰 朝天晴 [明月記]
  兵部少輔入道(禅師)去る春時氏朝臣に逢う(明暁下向の日)。再会し難きの由また
  問答す。得脱の因縁大いに得心せず。今この事を思うに極めて奇の由これを談る。
 

7月11日 庚子
  二位家の御月忌。南山の小御堂に於いて恒例の法会を修せらる。竹の御所御聴聞の為
  渡御す。
 

7月15日 甲辰 小雨
  酉の刻駿河の次郎の妻室女子を平産す。験者は丹後の律師。医師は良基朝臣。陰陽師
  は新大夫泰宗。各々禄物有り(生衣二領)。
 

7月16日 乙巳 霜降る
  殆ど冬天の如し。
 

7月23日 壬子 天晴 [明月記]
  時房朝臣の妻入洛すべしと(若くはこれ聟を執るが故か)。
 

7月26日 乙卯 晴
  酉の刻去る十五日誕生の少兒(駿河の次郎息女)卒去す。