1232年 (寛喜4年、4月2日 改元 貞永元年 壬辰)
 
 

2月7日 戊午
  御台所御不例。今日日中以後頗る御辛苦と。仍って御祈り等を行わる。五壇法・北斗
  供・泰山府君・代厄御祭と。
 

2月8日 己未 天霽
  戌の刻月天關を犯す。並びに太白婁星を犯す。希代の重変たるの由天文道驚き申すと。
 

2月13日 甲子
  御台所御不例の事御少減と。今日御不例の事に依って、小山下野入道・宇都宮修理の
  亮等、彼の国より参上すと。
 

2月14日 乙丑
  甘縄の辺の民居焼亡す。
 

2月20日 辛未
  一條殿より新調の車を進せらる。これ将軍家近日御上階有るべきが故なりと。大夫の
  尉基綱これを請け取ると。
 

2月23日 甲戌
  御台所御沐浴と。
 

2月24日 乙亥
  武蔵の国六所宮の拝殿破壊す。修造の儀有り。武藤左衛門の尉資頼これを奉行す。
 

2月26日 丁丑
  武蔵の国槫沼堤大破するの間、修固せしむべきの由、便宜の地頭に仰せらるべきの旨
  定めらる。左近入道道然・石原の源八経景等奉行として下向す。彼の国の諸人・領内
  の百姓一人も漏らさず催し具すべし。在家別に俵二つこれを充つべし。てえれば、三
  月五日よりこれを始め、自身その所に行き向かい、沙汰を致すべきの旨命を含むと。