10月5日 丙子 天晴 [明月記]
昨夜法勝寺の圓堂、群盗乱入し破壊す。未だ検知に及ばず。今朝仁和寺宮馳参せしめ
給うべしと。本願御安置以後、未だ開闢せられざる本尊なり。
10月11日 壬午 夜月明、暁より俄に甚雨 [明月記]
辰の刻ばかり頭を洗う。午の時與心房来たり給う。(略)衣帽を取り左右の髪を分つ。
先首要文を授けらる。戒師頂を剃り給う。次いで靜俊左頭を剃りをはんぬ。次いで右
を剃る。(略)南面に戒師袈裟を取り、誦文を授けらる。これを載せ返し奉る。三度
此の如し。次いでこれを着し仏前に参る。戒師礼盤に着し戒を授けられをはんぬ。形
の如く布施を奉る(賢寂桑絲五疋細櫃に入る)。
10月15日 丙戌 朝陽出 [明月記]
申の始めばかり金吾来たり。大殿の御使として参院す。圓堂の盗露顕の事と。賢寂従
者の男、市に出て金銅を売る者を見る。搦め取り俊親の宅に行きこれに問わしむ。果
たして承伏す。使盗を重時の許に送る。信綱時刻を廻らさず、武士を近江の国に遣わ
しこれを搦むと。
10月19日 庚寅 晴
戌の刻伊賀右馬の助並びに駿河の次郎等京都より下着す。騎旅の行粧を改めず御所に
参る。御返事に申すの趣、去る月十八日女院崩御。同二十四日諒闇の宣旨下さる。三
十日丑の刻御葬(庇御車を用いらる)、供奉の月卿雲客済々焉たり。或いは衣冠或い
は布衣、皆歩儀なりと。また京極中納言(定家卿)の書状武州の御方に到来す。去る
十一日落餝と(法名明静)。
10月22日 癸巳 天晴 [明月記]
午の時ばかり金吾来たり。関東大殿の北政所御遁世を申し止むと。
10月26日 丁酉 天晴 [明月記]
今日北政所御事と。