1233年 (貞永2年、4月15日 改元 天福元年 癸巳)
 
 

11月3日 癸卯
  蔵人大夫大江季光法師(法名西阿)、評定衆に召し加えらる。大和の前司倫重御使と
  して、その由を西阿に相触ると。
 

11月10日 庚戌
  今日評議有り。晩に及び事をはんぬ。武州御亭に還らしめ給うの後、大和の前司倫重
  ・玄蕃の允康連・民部の丞業時等を招き盃酒を賜う。公事の間勤厚を致す。殊に神妙
  の由褒美し給うと。これ近日雑訴等の事相積もるの間、連々評議有り。毎度武州早参
  し給う。人々面々倒衣すと雖もこれに先立ち奉らず。仍ってこの三人談合せしめ、夜
  中より評定所に参候す。翌朝に至り彼の御参を待ち奉る事、すでに五六箇度に及ぶの
  間、この御感に預かると。