5月1日 癸巳
巳の刻地震。
5月3日 乙未
午の刻地震。
5月4日 丙申
戌の刻地震。隠岐四郎左衛門の尉京都より参着す。
5月5日 丁酉
午の刻地震。今日鶴岡八幡宮の神事なり。将軍家御参無し。武州奉幣の御使として参
り給う。
5月7日 己亥
午の刻地震。
5月8日 庚子
天変地妖の事に依って、御祈祷・徳政等を行わるべきの由、内々その沙汰有り。連日
地震の事、未だこの例有らざるの由、古老の談る所なり。
5月13日 乙巳
京中数箇所の空地有るの由聞こし食し及ぶの間、関東御家人の給分に於いては、使者
を以て巡検を加え、今年中屋舎を構うべきの由、面々相催すべきの旨、今日六波羅に
仰せらる。もし懈怠を致さば、他人に充て給うべしと。これ且つは洛陽荒廃に似たり。
且つは強盗警固の煩い有るの由、御沙汰に依って此の如しと。
5月14日 丙午 朝天陰 [明月記]
密々の説、東方の書状、家人等一同然るべからざるの由を申すの趣、泰時の状を以て
申す。将軍の御消息無し。また別して禅室に申さざる由密語し給うと。賢者の案ずる
所、向後尤も不便。
5月15日 丁未
土屋左衛門の尉平宗光卒す(年五十二)。
5月16日 戊申
石清水八幡宮の別当法印幸清申す、宮寺領山城の国今移薪・御園両所に於いて、守護
人を置かるべし。これ悪党等、男山境内を憚らず、或いは猪鹿を射、或いは強盗を企
つ。禁しめざるべからずと。譜弟の寄せに就いて、守護せしむべきの旨、今日下総の
守源保茂に仰せ付けらると。
5月22日 甲寅
上野の介藤原朝光評定衆に加うと。
5月23日 乙卯
石清水八幡宮寺と興福寺と確執有り。喧嘩等に及ぶの間、計り沙汰すべきの旨院宣を
下さるるの由、六波羅よりこれを馳せ申さる。これ薪・大住両庄の用水相論の故なり
と。仍ってその沙汰を経らる。御使を差し遣わし実検を遂げ、左右に就いて議定有る
べきの趣、今日仰せ遣わさるる所なり。
5月27日 己未
故竹の御所一廻の御追善の奉為、武州仏像を造立せらる。仏師は肥後法橋と。下山次
郎入道・三津籐次入道等奉行たりと。