1236年 (嘉禎2年 丙申)
 
 

1月1日 己未 晴
  椀飯(相州御沙汰)。今日御簾を上げられず。御歓楽に依って出御無きが故なり。
   御劔   陸奥式部大夫政村
   御弓箭  越後の太郎光時
   御行騰沓 相模式部大夫朝直
   一の御馬(鞍を置く)隠岐三郎左衛門の尉 同五郎左衛門の尉
   二の御馬      佐原新左衛門の尉  同十郎
   三の御馬      相模の五郎     本間三郎左衛門の尉
   四の御馬      原右衛門の尉    同五郎
   五の御馬      相模の六郎     吉良の次郎

[百錬抄]
  衆徒等御神木神宝を宇治北門に棄て奉り退散す。神人少々付き奉る。平等院の神供に
  備うと。
 

1月2日 庚申 霽
  椀飯(武州御沙汰)。
   御劔   相模式部大夫
   御弓箭  駿河の次郎泰村
   御行騰沓 城の太郎義景
   一の御馬(鞍を置く)出羽三郎左衛門の尉 同四郎左衛門の尉
   二の御馬      信濃次郎左衛門の尉 同三郎左衛門の尉
   三の御馬      彌次郎左衛門の尉  夜叉左衛門の尉
   四の御馬      南條七郎左衛門の尉 同兵衛の尉
   五の御馬      上野七郎左衛門の尉 同五郎
 

1月3日 辛酉 霽
  椀飯(越州沙汰)。
   御劔   陸奥式部大夫
   御弓箭  大須賀左衛門の尉
   御行騰沓 摂津四郎左衛門の尉
   一の御馬 隠岐四郎左衛門の尉 同五郎左衛門の尉
   二の御馬 信濃左衛門の尉   同三郎左衛門の尉
   三の御馬 南條七郎左衛門の尉 同太郎兵衛の尉
   四の御馬 平左衛門次郎    同三郎
   五の御馬 越後の太郎     海老名左衛門の尉
 

1月9日 丁卯
  将軍家御疱瘡の後、今日沐浴の儀有り。行勇僧都御湯を加持す。良基朝臣御馬・御劔
  ・御衣等を賜う。夜に入りまた御祈りを始行す。五壇法は弁僧正定豪、伴僧を率いこ
  れを修す。百日の泰山府君祭は陰陽の助忠尚朝臣奉仕す。天冑地府は大監物宣賢これ
  を勤むと。
 

1月17日 乙亥
  将軍家御疱瘡の余気に依って、御股・御膝の腫物(押領使と号す)二十余箇処出でし
  め給う。今日女房石山の局良基朝臣を召し、何様の御事たるべきやの由仰せ合わさる。
  殊なる御事に有るべからずと。聊か療治を加え奉る。
 

1月19日 丁丑
  御不例の余気に依って、御祈祷の為冥道供を行わる。宮内卿僧都承快これを修す。ま
  た七壇の炎魔天供有りと。
 

1月20日 戊寅
  御所に於いて七座の招魂祭を行わる。また大属星供は珍譽法印これを奉仕す(三十夜
  たるべし)。
 

1月21日 己卯
  武州御所に参り給い、盃酒を献らる。相州以下人々参加せらる。
 

1月23日 辛巳
  足利左馬の頭また椀飯等を献らると。