11月1日 甲寅 霽
未の刻六波羅の飛脚参着す。南都去る月十七日の夜城郭を破り退散す。これ所領に於
いて、地頭を補せられ塞関せらるるの間、兵粮の計を失い、人勢を聚め難きが故なり
と。
11月2日 乙卯 [百錬抄]
今夜、春日の神木帰座しをはんぬ。関東の下知厳密の間、指せる裁許無きと雖も此の
如し。
11月13日 丙寅 小雨灌ぐ
六波羅の飛脚到着す。南都の蜂起すでに落居す。去る二日より、僧綱已下寺に帰り、
寺門を開き仏事を行うと。
11月14日 丁卯
匠作・武州評定所に着き給う。その衆参進す。南都の事沙汰有り。衆徒静謐するの間、
大和の国の守護・地頭職を止め、元の如く寺家に付けらるべしと。
11月15日 戊辰
評議有り。これ去る二日東寺の長者親厳僧正入滅す。鶴岡別当僧正定豪を以てその替
わりたるべきの由、殿下内々の御教書、昨日到来するの間、上洛せらるべきや否や沙
汰有り。而るを長者に補すは、関東の眉目たり。僧正の本意たり。然るべきの由治定
すと。仍って当座より、大和の前司・佐藤民部大夫等を遣わし、事の由を僧正に触れ
仰せらると。
11月22日 乙亥 霽
将軍家御方違え。蔵人大夫入道西阿の宿所に入御す。これ御持仏堂の造営、その所御
寝所より北方分かの由、御疑い有るに依ってなり。
11月23日 丙子
将軍家還御す。蔵人大夫入道御引出物を献る。役人、御劔は左衛門大夫泰秀、砂金は
駿河の次郎泰村、御馬(鞍を置く)は毛利新蔵人泰光・岩崎左衛門の尉等これを引く。
11月24日 丁丑 晴
戌の刻町大路失火す。南北十余町災す。筑後左衛門の尉・中民部太郎以下の人家災す。
勝計うべからず。
11月25日 戊寅 霽
御持仏堂供養。導師は弁僧正定豪、密供養なり。御本尊は、六條法印院圓京都に於い
て造立し奉る。日次の事、一條殿に於いて沙汰を経らる。去る四月二十三日賀茂祭の
日これを始め奉る。これ初例なりと。