2月3日 乙酉 [玉蘂]
山門の衆徒蜂起すと。これ三井戒壇を立てらるべきの由結構す。並びに宇治僧正一座
宣下の事と。仍って制止せしむ。
2月6日 [玉蘂]
宇治大僧正来たる。一座宣下の事、山僧理に伏し、蜂起すべからざるの由、座主宮告
げ送る所なり。
2月7日 己丑 [玉蘂]
検非違使泰綱昨日上洛す。晩頭来たり。関東将軍の鐘愛なり。蔵人所に参るべしと。
2月8日 庚寅
大夫判官定員上洛す。
2月15日 丁酉 霽
将軍家二所御精進始め。
2月21日 癸卯 晴
将軍家二所御進発。匠作扈従し給う。その外済々焉たり。随兵四十余騎なり。
2月26日 戊申 陰
二所より御下向。御往還の間風雨の難無し。今日京都の使者参る。摂録は御聟近衛左
府(兼)に移さるるの間、去る十日御拝賀、扈従の公卿十人と。