1237年 (嘉禎3年 丁酉)
 
 

2月3日 乙酉 [玉蘂]
  山門の衆徒蜂起すと。これ三井戒壇を立てらるべきの由結構す。並びに宇治僧正一座
  宣下の事と。仍って制止せしむ。
 

2月6日 [玉蘂]
  宇治大僧正来たる。一座宣下の事、山僧理に伏し、蜂起すべからざるの由、座主宮告
  げ送る所なり。
 

2月7日 己丑 [玉蘂]
  検非違使泰綱昨日上洛す。晩頭来たり。関東将軍の鐘愛なり。蔵人所に参るべしと。
 

2月8日 庚寅
  大夫判官定員上洛す。
 

2月15日 丁酉 霽
  将軍家二所御精進始め。
 

2月21日 癸卯 晴
  将軍家二所御進発。匠作扈従し給う。その外済々焉たり。随兵四十余騎なり。
 

2月26日 戊申 陰
  二所より御下向。御往還の間風雨の難無し。今日京都の使者参る。摂録は御聟近衛左
  府(兼)に移さるるの間、去る十日御拝賀、扈従の公卿十人と。