1238年 (嘉禎4年、11月23日 改元 暦仁元年 戊戌)年
 
 

2月1日 丁丑 天晴、風烈し
  申の一点車返牧の御所に着御す。
 

2月2日 戊寅 天晴、大風塵を挙ぐ
  蒲原御宿。
 

2月3日 己卯 天霽
  手越御宿。左京兆の御沙汰として御所を儲けらる。また左京兆の室上洛し給う。今日
  鎌倉を立たれる。
 

2月4日 庚辰 天晴
  嶋田。
 

2月5日 辛巳 晴
  懸河御宿。匠作の御沙汰として遠江の国の御家人等に仰せ、兼ねて御所を造らる。横
  地太郎兵衛の尉長直奉行たりと。
 

2月6日 壬午 霽
  今暁諸人の乗替以下、御出以前に進発し、王覇の忠を挿む。狐疑に及ばず。天龍河を
  競い渡らんと欲するの間、浮橋破損すべきか。加制すと雖も敢えて拘わらざるの由、
  奉行人横地太郎兵衛の尉長直等馳せ申す。仍って左京兆鶏鳴の程、懸河の宿を出て河
  の辺に到り、敷皮に着座す。一言を発せしめ給わずと雖も、諸人礼を成し猶予す。自
  然静謐せしめをはんぬ。将軍家御通りの後、馬に乗り供奉すと。この河の水俄に落つ。
  供奉人の所従等は、浮橋を渡ること能わず。また乗船の沙汰無し。大半河を渡る。水
  僅かに馬の下腹に及ぶと。酉の刻池田の宿に入御す。
 

2月7日 癸未 霽
  橋本の駅に着御す。先の人々家々を点定するの間、陸奥の太郎實時主舞澤松原に宿す。
  戌の刻に及び、京兆彼の野宿の事を聞かしめ給い、仰せられて曰く、實時は小侍別当、
  重職他に異なり、尤も御所の辺に候すべきの仁なり。而るにその所無きに依って、駅
  の路上に止宿すてえり。予座を里家に暖めるの條、その恐れ有りと。仍って陸奥の太
  郎の野宿に到らしむるの間、宮内少輔泰氏・駿河の前司義村以下の人々、多く以て旅
  宿を辞し申し、件の松原に参る。還って諸人の煩いたり。早く本所に入らしめ給うべ
  きの由各々これを申す。また遠山大和の守旅店(御所近々)を辞し、陸奥の太郎を招
  請するの間、京兆人々の礼に憚り、本宿に帰らしめ給う。太郎主面目を施し、和州の
  本所に宿すと。
 

2月8日 甲申 寅の刻以後小雨、日出晴に属く。未の刻また雨降る。
  豊河の宿に着御す。深更に及び風雨甚だし。
 

2月9日 乙酉 霽
  矢作の宿。足利左馬の頭の亭に入御す。去る夜の風雨に依って、洲俣・足近両河の浮
  橋流損すと。
 

2月10日 丙戌 晴
  萱津御宿。亥の刻将軍家俄に御不例、御霍乱か。諸人驚騒す。権侍医時長医術を施す
  の間、小選復本せしめ御う。仍って御劔を賜う。京兆御馬を引かしめ給うと。
 

2月11日 丁亥 晴
  今日萱津の宿に御逗留。去る夜の御不例の余気御すに依ってなり。その間両河の浮橋
  を修理すと。
 

2月12日 戊子 霽
  小隈御宿。
 

2月13日 己丑 天晴
  垂井。
 

2月14日 庚寅 陰
  小脇。
 

2月15日 辛卯 天晴
  野路。
 

2月16日 壬辰 天霽
  従五位下行隠岐の守藤原朝臣行村法師(法名行西)卒す(年八十四)。時に伊勢の国
  益田庄に在り。この間彼の所に向かうと。今日、将軍家野路の駅に御逗留。明日御入
  洛の間、随兵以下の行列を定めらるるに依ってなり。小侍所別当陸奥の太郎實時供奉
  人を注しこれを持参せらる。匠作・京兆御前に於いて左右を定めしめ給うの後、奉行
  人に返さると。将軍家の御判を件の散状の端に載せらるる所なり。

[玉蘂]
  東札到来す。
 

2月17日 癸巳 天顔快霽
  巳の刻野路の宿を御出で。先ず随兵以下の供奉人、庭上より路次に至り二行の座に列
  す。御輿を寄せるの後騎馬す。隆親卿以下関寺の辺に於いて見物すと。子の刻御入洛。
  六波羅の御所(この間新造)に着き給う。
  行列
  先ず駿河の前司随兵(三騎相並ぶ。家子三十六人を以て随兵と為す)
    一番 大河戸民部太郎     大須賀の八郎    佐原太郎兵衛の尉
    二番 筑井左衛門太郎     同次郎       皆尾の太郎
    三番 三浦又太郎左衛門の尉  同三郎       山田蔵人
    四番 武の小次郎       同三郎       同又次郎兵衛の尉
    五番 秋葉の小三郎      山田の六郎     同五郎
    六番 多々良の小次郎     同次郎兵衛の尉   青木兵衛の尉
    七番 安西大夫        金摩利の太郎    丸の五郎
    八番 丸の六郎太郎      三浦佐野の太郎   石田の太郎
    九番 石田の三郎       三原の太郎     市脇兵衛次郎
    十番 長尾平内左衛門の尉   同三郎兵衛の尉   平塚兵衛の尉
   十一番 壱岐の前司       駿河四郎左衛門の尉 遠藤兵衛の尉
   十二番 駿河五郎左衛門の尉   同八郎左衛門の尉  三浦の次郎
  先陣
   駿河の前司(騎馬、郎従二人前に在り)
  御所の随兵百九十二騎(三騎相並ぶ。各々弓袋差一人、歩走三人前に在り)
    一番 小林の小次郎      同小三郎      眞下右衛門三郎
    二番 猪俣左衛門の尉     荏原の七郎三郎   河匂の野内
    三番 二宮左衛門太郎     同三郎兵衛の尉   同四郎兵衛の尉
    四番 池上籐兵衛の尉     小串馬の允     多胡宮内左衛門太郎
    五番 大井の三郎       品河の小三郎    春日部三郎兵衛の尉
    六番 高山の五郎四郎     江戸の八郎太郎   同高澤の彌四郎
    七番 大胡左衛門次郎     伊佐四郎蔵人    大胡の彌次郎
    八番 都筑右衛門の尉     同左近将監     遠藤右衛門の尉
    九番 山内の籐内       同左衛門太郎    西條の與一
    十番 後藤彌四郎左衛門の尉  佐渡五郎左衛門の尉 伊勢籐内左衛門の尉
   十一番 小野寺小次郎左衛門の尉 同四郎左衛門の尉  薗田彌次郎左衛門の尉
   十二番 紀伊次郎兵衛の尉    豊田太郎兵衛の尉  同次郎兵衛の尉
   十三番 片穂六郎左衛門の尉   和田右衛門の尉   同四郎左衛門の尉
   十四番 秩父右衛門太郎     倉賀野兵衛の尉   那珂左衛門の尉
   十五番 中澤小次郎兵衛の尉   同十郎兵衛の尉   河原右衛門の尉
   十六番 小河左衛門の尉     河口の八郎太郎   立河兵衛の尉
   十七番 阿佐美六郎兵衛の尉   塩屋民部六郎    福原の五郎太郎
   十八番 下河邊左衛門の尉    新開左衛門の尉   大河戸太郎兵衛の尉
   十九番 中野左衛門の尉     俣野の彌太郎    海老名の四郎
   二十番 四方田三郎左衛門の尉  塩屋六郎左衛門の尉 蛭河四郎左衛門の尉
  二十一番 本間右近将監      多賀谷太郎兵衛の尉 松岡の四郎
  二十二番 本庄四郎左衛門の尉   西條四郎兵衛の尉  泉田兵衛の尉
  二十三番 中村五郎左衛門の尉   同三郎兵衛の尉   加治新左衛門の尉
  二十四番 阿保次郎左衛門の尉   加治丹内左衛門の尉 同次郎兵衛の尉
  二十五番 飯富の源内       本庄新左衛門の尉  那須左衛門太郎
  二十六番 進士の三郎       多賀谷左衛門の尉  江帯刀左衛門の尉
  二十七番 本間次郎左衛門の尉   佐野三郎左衛門の尉 高田武者の太郎
  二十八番 小河三郎兵衛の尉    平左衛門三郎    三村兵衛の尉
  二十九番 長掃部左衛門の尉    長右衛門の尉    長兵衛三郎
   三十番 豊田の彌四郎      秋元左衛門次郎   須賀左衛門太郎
  三十一番 高山の彌三郎      同彌四郎      矢口兵衛次郎
  三十二番 薗田の又太郎      木村の彌次郎    同小次郎
  三十三番 後藤三郎左衛門の尉   同四郎左衛門の尉  同兵衛太郎
  三十四番 伊達の八郎太郎     中村縫殿の助太郎  伊達判官代
  三十五番 佐竹の八郎       結城の五郎     佐竹の六郎次郎
  三十六番 大曽祢太郎兵衛の尉   同次郎兵衛の尉   武藤左衛門の尉
  三十七番 長三郎左衛門の尉    長太右衛門の尉   長内左衛門の尉
  三十八番 善右衛門次郎      彌善太右衛門の尉  布施左衛門太郎
  三十九番 得江蔵人        平賀三郎兵衛の尉  得江の三郎
   四十番 笠間左衛門の尉     出羽四郎左衛門の尉 狩野五郎左衛門の尉
  四十一番 信濃民部大夫      同三郎左衛門の尉  肥後四郎左衛門の尉
  四十二番 壱岐小三郎左衛門の尉  足立木工の助    壱岐三郎左衛門の尉
  四十三番 佐原太郎左衛門の尉   下総の十郎     伊賀次郎右衛門の尉
  四十四番 千葉の八郎       相馬左衛門の尉   大須賀左衛門次郎
  四十五番 内藤七郎左衛門の尉   押垂三郎左衛門の尉 春日部左衛門の尉
  四十六番 近江四郎左衛門の尉   豊前大炊の助    加治八郎左衛門の尉
  四十七番 武田の五郎次郎     仁科の次郎三郎   小野澤左近大夫
  四十八番 宇都宮新左衛門の尉   氏家の太郎     筑後左衛門次郎
  四十九番 和泉次郎左衛門の尉   同新左衛門の尉   同五郎左衛門の尉
   五十番 佐原新左衛門の尉    同四郎左衛門の尉  同六郎兵衛の尉
  五十一番 大井の太郎       南部の次郎     同三郎
  五十二番 宇佐美與一左衛門の尉  彌次郎左衛門の尉  関左衛門の尉
  五十三番 少輔左近大夫将監    同木工の助     上総の介太郎
  五十四番 筑後図書の助      安積左衛門の尉   伊藤三郎左衛門の尉
  五十五番 佐渡二郎左衛門の尉   同三郎左衛門の尉  同帯刀左衛門の尉
  五十六番 宇都宮四郎左衛門の尉  同五郎左衛門の尉  梶原右衛門の尉
  五十七番 加藤左衛門の尉     河津八郎左衛門の尉 河越掃部の助
  五十八番 小山五郎左衛門の尉   宇都宮上條の四郎  宮内左衛門の尉
  五十九番 伊豆の守        武田の六郎     小笠原の六郎
   六十番 薬師寺左衛門の尉    淡路四郎左衛門の尉 上野七郎左衛門の尉
  六十一番 陸奥の五郎太郎     毛利蔵人      那波次郎蔵人
  六十二番 若狭の守        宇都宮修理の亮   秋田城の介
  六十三番 遠江式部の丞      越後の太郎     遠江の三郎
  六十四番 相模の六郎       北條左近大夫将監  宮内少輔
  次いで御甲着け一人
  次いで御冑持ち一人
  次いで御小具足持ち一人
  次いで御引馬一疋
  次いで歩走(被召人、郎従三十人)
  次いで御乗替二人(童野箭、御輿の右に候す。童征箭、御輿の左に候す)
  次いで御輿(御簾を上げらる。御装束御布衣。御力者三手)
  次いで水干を着す人々(各々野箭)
    一番 駿河の守       備前の守       右馬権の頭
    二番 長沼淡路の前司    大河戸民部大夫    大和の守
    三番 天野和泉の前司    玄蕃の頭       佐原肥前の前司
    四番 肥後の前司      江判官        伊賀判官
    五番 出羽判官       壱岐大夫判官     因幡大夫判官
    六番 左京権大夫(随兵三十人。水干を着す侍十八人。その外打籠勢勝計うべか
             らず)
  後陣 
    修理権大夫(随兵二十人。水干を着す侍二十人、その外打籠勢済々焉たり)

[玉蘂]
  今日征夷大将軍民部卿頼経卿入洛す。太政入道(公経)十二間の桟敷を白河の辺(三
  條北白河西、板屋十二間一面に簾を駈け、東三間入道の為の桟敷。その次の三間、女
  房等の桟敷。その次の三間予の為の桟敷。その次の三間は前の博陸(家實)の為の桟
  敷。その後に桧墻を立て織戸を立つ。大路の南に裏桧墻有り。皆悉く伊豫の簾を懸く。
  その内に几帳帷を懸く)に儲け、予並びに前の博陸を招請す。仍って午の刻に行き向
  かう。密々の儀なり。(略)予前の博陸に謁し雑談す。多く建久の頼朝卿入洛の間の
  事なり。
 

2月18日 天晴 [玉蘂]
  今日石山尼来たり。将軍共に上洛する所なり。
 

2月21日 [玉蘂]
  定員将に民部卿(頼経)の使いとして来たり。
 

2月22日 戊戌 天晴
  将軍家始めて御出で(御直衣)。陰陽の頭維範朝臣御身固めに候す。先ず大相国の御
  亭、次いで一條殿に御参り。今日前駈の沙汰に及ばず。右馬権の頭政村御車前に候せ
  らると。
  行列
  先ず右馬権の頭政村
  次いで御車(八葉)
   宇田左衛門の尉     四方田五郎左衛門の尉資綱
   小宮五郎左衛門の尉   本間次郎左衛門の尉信忠
   平左衛門三郎盛時    富所左衛門の尉
   若兒玉の小次郎     小河三郎兵衛の尉直行
   参河三郎左衛門の尉   飯富の源内長能
    以上十人、直垂を着し、帯劔、御車の左右に列歩す。
  次いで衛府八人(各々布衣、帯劔・騎馬、馬打、歳次第)
   一番 内藤七郎左衛門の尉盛綱 安積六郎左衛門の尉祐長
   二番 河津八郎左衛門の尉尚景 豊後四郎左衛門の尉忠綱
   三番 上野七郎左衛門の尉朝廣 駿河四郎左衛門の尉家村
   四番 佐渡帯刀左衛門の尉基政 近江四郎左衛門の尉氏信
  次いで扈従の殿上人
   左近中将親季朝臣
 

2月23日 己亥 雨降る
  今日将軍家御参内。一條殿より前駈三人を差し進せらる。日中以後御出で。
  行列
  先ず前駈
   右馬権の頭政村      治部権大輔兼康
   宮内少輔泰氏       左馬権の頭盛長
   備前の守朝直       皇后宮権大夫茂俊
  次いで御車(八葉)
   小河三郎兵衛の尉     小宮左衛門次郎直義
   本間次郎左衛門の尉信忠  平左衛門三郎
   四方田五郎左衛門の尉資綱 若兒玉の小次郎
   飯富の源内        修理の進三郎宗長
    以上直垂を着し、帯劔せしめ、御車の左右に候す。
  次いで府十人(各々布衣・帯劔)
   源左衛門の尉       和泉次郎左衛門の尉景氏
   宇都宮四郎左衛門の尉頼業 河津八郎左衛門の尉尚景
   肥前太郎左衛門の尉胤家  佐渡帯刀左衛門の尉基政
   薬師寺左衛門の尉朝村   三浦又太郎左衛門の尉氏村
   信濃三郎左衛門の尉行綱  宇佐美籐内左衛門の尉祐泰
  次いで殿上人
   左近中将親季朝臣
  夜に入り小除目を行わる。将軍家権中納言に任ず。右衛門の督を兼ねしめ給う。

[玉蘂]
  この日民部卿始めて参内の日なり。
 

2月24日 [玉蘂]
  午の刻太政入道来られ、昨日の儀を語る。泰時朝臣に謁すと。昨日の引出物馬二疋、
  並びに義村の与える所の馬相具し来らる。西の壺に於いてこれを見る。権中納言頼経
  還任、右衛門の督・別当を兼ねる。
 

2月26日 壬寅
  将軍家検非違使別当に補せしめ給う。

[百錬抄]
  将軍検非違使別当に補せらる。
 

2月27日 [玉蘂]
  親季朝臣重ねて六波羅に向かう。
 

2月28日 甲辰 天霽
  将軍家御馬を公家に奉らる。
   一の御馬 大和の前司祐時 安積六郎左衛門の尉祐長
   二の御馬 大和の守景朝  河津八郎左衛門の尉尚景
    以上四人これを引く(各々布衣・帯劔)
  今日、中納言等の御拝賀なり。御出立を御覧ぜんが為、大殿六波羅殿に渡御す。門外
  に於いて御下車。これ希代の事たり。則ち前駈五人を差し進せらると。
  御拝賀の行列
  先ず一員
   番長安利    府生為末    大志      小志家平
  次いで前駈
   左馬権の頭盛長     宮内少輔泰氏
   刑部少輔家盛      備前の守朝直
   治部権大輔兼康     右馬権の頭政村
   皇后宮権大夫茂能    駿河の守有時
   中務権少輔時長     越後の守時盛
  次いで御車
   丹治部左衛門の尉    小河兵衛の尉
   同左衛門次郎      本間次郎左衛門の尉
   平左衛門三郎      四方田五郎左衛門の尉
   立河三郎兵衛の尉基泰  富所左近将監
   池上の籐七康親     飯富の源内
    以上十人直垂を着し、帯劔、御車の左右に候す。
  先行
   看督長四人
   火長四人
   雑色御後
  次いで衛府二十人(下臈先たり)
   大見左衛門の尉實景     宇佐美與一左衛門の尉祐村
   宮内左衛門の尉公景     宗宮内五郎左衛門の尉
   淡路四郎左衛門の尉時宗   伊藤三郎左衛門の尉祐綱
   武藤左衛門の尉景頼     加藤左衛門の尉行景
   上野七郎左衛門の尉朝廣   信濃三郎左衛門の尉行綱
   近江四郎左衛門の尉氏信   出羽四郎左衛門の尉光宗
   肥前四郎左衛門の尉光連   壱岐三郎左衛門の尉時清
   関左衛門の尉政泰      佐渡帯刀左衛門の尉基政
   小山五郎左衛門の尉長村   大曽祢兵衛の尉長泰
   三浦遠江次郎左衛門の尉光盛 三浦駿河四郎左衛門の尉家村
  次いで官人
   主馬大夫判官家衡
  次いで随兵十人(三騎相並ぶ、最末一騎)
   一番 北條左近大夫将監経時 相模の六郎時定   足利の五郎長氏
   二番 三浦若狭の守泰村   宇都宮下野の守泰綱 秋田城介義景
   三番 武田の六郎信長    小笠原の六郎時長  千葉の八郎胤時
   最末 上野の五郎重光
  次いで扈従の公卿二人
   宰相中将實雄     三位中将公経
  次いで殿上人五人
   左中将實光      二條少将教定     権の中将親季
   近衛少将實藤     左少将為氏 
    以上乗車

[玉蘂]
  今日別当頼経卿拝賀なり。
 

2月29日 乙巳 天霽
  大理廰始めなり。検非違使二十六人皆参る。その中五位の尉八人と。大理出御す。各
  々面拝を遂ぐと。晩に及び、将軍家御参内(御直衣)。[供奉人去る二十二日に同じ。
  暁更に至り、前の右府並びに准后の御亭に渡御すと。]

[玉蘂]
  今日准后六波羅に向かう。密々の儀なり。
 

2月30日 丙午
  卯の一点将軍家六波羅に還御す。

[玉蘂]
  早旦御馬等百疋を択見す。中十三疋は入道相国これを申し預く。予十三疋これを預く。
  八疋は前の博陸、五疋は摂政、五疋は右府、五疋は前の右府、二疋は座主宮、二疋は
  御室、二疋は右大将、(以下略)