1240年 (延應2年、7月16日 改元 仁治元年 庚子)
 
 

10月10日 庚子
  前の武州の御亭に於いて、山内の道路を造らるべきの由その沙汰有り。安東籐内左衛
  門の尉これを奉行す。
 

10月13日 癸卯 天晴
  前の武州並びに評定衆等御所に参らる。五大堂内に北斗堂を建てらるべきの由議定有
  りと。
 

10月19日 己酉 天晴
  大倉北斗堂地曳き初めの事、佐渡の前司・兵庫の頭等これを奉行すべしと。また前の
  武州の御沙汰として山内の道路を造らる。これ嶮難の間、往還の煩い有るに依ってな
  り。
 

10月22日 壬子
  人々恩沢に浴す。佐渡の前司基綱奉行たりと。