1241年 (仁治2年 辛丑)
 
 

7月3日 己丑
  大納言僧都隆弁将軍家の御使として、筥根山般若嶺に参籠す。転読十六会と。
 

7月4日 庚寅
  子の刻地震。今日御所の御持仏堂に於いて、将軍家の息災御祈りの為、八万四千墓の
  泥塔供養有り。導師は宮内卿僧都承快。
 

7月5日 辛卯
  前の武州亭に於いて七座の泰山府君祭を行わる。御不例に依ってなり。
 

7月6日 壬辰
  北條左親衛・同武衛等、鶴岡上下宮に於いて百度詣で有り。これ祖父息災延壽の御祈
  請と。
 

7月8日 甲午
  御所に於いて七座の泰山府君祭を行わる。定昌・泰貞・晴賢・資俊・国継・廣資・以
  平等これを奉仕す。御厩舎人等をして御馬をその庭に引き送らしめ給うと。
 

7月20日 丙午
  前の武州の御不例殊なる事無しと。
 

7月26日 壬子
  御台所石山の局の里亭に渡御す。辛蒜を聞こし食すべきに依ってなり。夜に入り珍誉
  法印大属星供を修す。また文元朝臣属星祭を始行す。上総の国皆吉郷知行の功に募ら
  るる所なり。各々将軍家御息災の御祈祷と。
 

7月27日 癸丑
  今夕定昌朝臣如法泰山府君祭を奉仕す。これまた将軍家の御祈りなり。今月御慎みの
  期に相当たり、殊に精誠の儀に及ぶと。
 

7月28日 甲寅
  大納言僧都隆弁筥根山般若嶺より帰参す。