1241年 (仁治2年 辛丑)
 
 

12月1日 甲寅
  酒宴経営の時、或いは風流菓子を用い、或いは衝重外居等の画図の事を為す。御所中
  の外、向後一切此の如き過分の式を停止すべきの由、諸家に触れ仰せらる。凡そ過差
  を禁制する事先日定めらるると雖も、経営結構の時、ややもすれば違犯の事有るに依
  って、今日重ねて仰せ下さると。
 

12月5日 戊午
  北條武衛前の武州より一村を拝領せしめ給う。これ御所中宿直祇候の事勤厚の故と。
  凡そ前の武州所労を現すの外、毎月六箇日夜の当番、壮年より今に勤節を致せしめ給
  う所なり。また左親衛突鼻の事、今日免許有り。前の右馬権の頭・若狭の前司の如き、
  殊にこれを執り申さると。駿河式部大夫家村・上野の十郎朝村同じく出仕を聴さると。
 

12月8日 辛酉
  小侍所の番帳更にこれを改めらる。番毎に諸事の芸能に堪えたるの者一人必ずこれを
  加えらる。手跡・弓馬・蹴鞠・管弦・郢曲以下の事と。諸人その志に随い、此の如き
  一芸を始むべきの由仰せ下さる。これ時に於いて御要有るべきに依ってなり。陸奥掃
  部の助この趣を人々に相触れらると。
 

12月11日 甲子
  夜に入り御所に於いて大土公祭を行わる。泰貞朝臣これを奉仕す。将軍家その庭に出
  でしめ給うと。
 

12月13日 丙寅
  六波羅御沙汰の間、問注奉行人緩怠遅参の由その聞こえ有るに依って、時刻を定めこ
  れを着到せしめ、毎月関東に進すべきの旨、相州の許に仰せらると。
 

12月21日 甲戌 天霽
  将軍家の若君御前御乗馬初めなり。晩に及び小侍の小庭に於いてその儀有り。前の武
  州これを扶持し奉らる。遠江の守・前の右馬権の頭・前の宮内少輔・甲斐の前司・秋
  田城の介・下野の前司・壱岐の前司・佐渡の前司・出羽の前司・太宰の少貳・大和の
  前司・遠山大蔵少輔・大蔵権の少輔以下数輩庭上に群居す。近江四郎左衛門の尉氏信
  御馬を引き立つ。若狭の前司泰村これを抱き奉る。小山五郎左衛門の尉長村御鐙を抑
  えると。
 

12月24日 丁丑
  多磨河を堀通し、その流れを武蔵野に堰上げ、水田を開くべきの由、施行すでにをは
  んぬ。柏間左衛門の尉・多賀谷兵衛の尉・恒富兵衛の尉等奉行たり。今日彼の国に下
  向する所なり。
 

12月27日 庚辰
  武田伊豆入道光蓮次男信忠(悪三郎と号す)を義絶せしむの由、御所並びに前の武州
  の御方に申し入れ先にをはんぬ。公私に於いて大功有るの子息なり。何の過失に就い
  てこの儀に及ぶやの由、前の武州頻りに宥め仰せらるると雖も、数箇條の不可に依る
  の上は、厳命に随い免許せしめ難きの由これを申し切ると。而るに今日光蓮前の武州
  に謁し奉るの間、信忠その便宜を伺い推参せしむの砌、申して云く、信忠父の為孝有
  り怠り無し。義絶の故何事ぞや。先ず建暦年中和田左衛門の尉義盛謀叛の時、諸人防
  戦を以て事と為すと雖も、朝夷名の三郎義秀の武威に怖れ、或いは彼の発向の方に違
  い、或いは見逢うと雖も傍路に遁れ、義秀に逢うを以て自らの凶と為す。爰に光蓮は
  武州を尋ね奉り、若宮大路の東頬米町前を通り、由比浦方に向かう。義秀は牛渡津橋
  より同西頬に打ち出て、御所方を指し馳参す。各々妻手番に相逢う。義秀光蓮を見て、
  頗る鐙を合わせ進み寄る。光蓮暫くは目に懸けず。ただ降り行くと雖も、すでに箭比
  に在るの間、聊か轡を西に向け弓を取り直す。時に信忠忽ち父の命に相代わらんが為、
  身を捨て両人の中を馳せ隔つの処、義秀太刀を取ると雖も、信忠の無二の躰を見て、
  直に感詞を加え、闘戦に及ばず馳せ過ぎをはんぬ。且つはこれ兼ねて信忠の武略の実
  を知るが故か。次いで承久三年兵乱の時、京方の要害等に向かい、軍陣を敗る毎に、
  信忠の先登に非ずと云うこと莫し。舎弟等これに相伴うと雖も、その功を論ずるに全
  く信忠の労に均からず。両度の事、共に以て亭主知ろし食さるる所なり。然かれば父
  に於いては哀憐を忘れると雖も、上として爭か御口入為からんやと。前の武州閑かに
  事の始終を聞こし食され、御落涙に及ぶ。仍って殊に御詞を加えられて曰く、申す所
  皆子細有るか。泰時に優じ早く免許せらるべしてえり。光蓮申して云く、御旨を重ん
  じ奉るの事勿論と雖も、この一事に限りては、枉げて御免を蒙らんと欲すてえり。次
  いで信忠に対して云く、汝の申す所悉く虚言に非ず。武略に於いては誠に以て神妙な
  り。凡そ父の慈愛と云い子の至孝と云い、今に忘却すること能わず。但し心操せ調窮
  せざりをはんぬ。且つは親疎の思う所を憚り義絶せしむるの上は、宥めるに拠所無し。
  須く己が凶器を量るべしと。前の武州重ねての仰せ無し。信忠泣く々々座を起つ。観
  る者これを憐れむと。
 

12月28日 辛巳
  御祈供料、雑掌等事を左右に寄せ対捍有るの輩、慥に交名を注進すべし。不忠に処し
  重科に行わるべきの旨、政所に仰せらると。師員朝臣これを奉行す。
 

12月29日 壬午
  若宮御前の御方の祇候人数を定めらる。六番に結ぶ。御撫物御使並びに御格子上下役、
  悉くこれを分け置かる。将軍の御方の躰に模せらるる所なり。陸奥掃部の助これを奉
  行す。
 

12月30日 癸未
  前の武州右幕下・右京兆等の法華堂に参り給う。また獄囚及び乞害の輩の施行等有り。
  三津の籐二奉行たり。その後山内巨福礼の別居に渡御す。秉燭以前還らしめ給うと。