1243年 (仁治4年、2月26日 改元 寛元元年 癸卯)
 
 

3月2日 戊寅 天晴
  亥の刻若君の御祈り。御所に於いて七座の泰山府君祭を行わる。定昌・泰貞・晴賢・
  宣賢等の朝臣、国継・廣資・以平これを奉仕す。秋田城の介・甲斐の前司・能登の守
  ・周防の前司等これを沙汰す。今日京都の使者到着す。改元の詔書を持参す。去る月
  二十六日仁治四年を改め寛元元年と為す。
 

3月12日 戊子
  臨時の評定を行わる。鳩谷兵衛の尉重元その砌に参り、庭中言上の事有り。これ武蔵
  の国足立郡内鳩谷の地頭職の事に就いて、先日懸物の押書を出しをはんぬ。縡すでに
  分明の上、執り申すべきの由、懇望せしむと雖も奉行人許容せずと。その沙汰有り。
  問状を下さるべしと。
 

3月15日 辛卯 天霽
  御所に於いて天地災変祭を行わる。泰貞朝臣これを奉仕す。御使は水谷左衛門大夫重
  輔、雑掌は毛利蔵人入道西阿と。
 

3月19日 乙未 晴
  午の刻将軍家二所御精進屋に入御す。駿河の守有時の亭なり。
 

3月23日 己亥 霽
  将軍家二所御進発。
 

3月27日 癸卯 陰
  酉の刻二所より還御す。往還の間雨降らず。夜に入り甚雨。