1245年 (寛元3年 乙巳)
 
 

9月4日 丙申 天晴
  寅の刻武州の室家卒去す(年十五)。これ宇都宮下野の前司泰綱の息女なり。
 

9月6日 戊戌 [平戸記]
  伝聞、螢惑哭星を犯す。すでに入犯し客星を分つ。彗星出現の後、他変の沙汰に及ば
  ず。然れどもこの変殊に重きの由、司天等密談すと。
 

9月8日 庚子 天晴
  戌の刻螢惑星天関を犯すと。
 

9月9日 辛丑 天晴
  将軍家御不例の事、丹祈玄応に依って、御減有るべきの由、彼の御母儀二品の御夢に
  有り。仍って将軍家病床に於いて、大納言法印の行法壇の砌に到り二拝せしめ給う。
  法印また去る月十八日この御祈りの事を承り、同二十五日法験有るべきの由、霊夢を
  感得せらると。
 

9月10日 壬寅 晴 [平戸記]
  後聞、螢惑哭星第一星を迫犯するの事六寸と。
 

9月11日 癸卯 天晴
  御不例の事聊か御減気有りと。
 

9月14日 丙午 天晴
  御不例御減の間、御修法阿闍梨(隆弁)結願し、御所中を退出す。これに依って入道
  大納言家御馬・御劔等を彼の雪下の本坊に遣わさる。隼人の正光重御使たり。御自筆
  の御書を副えらる。その詞に曰く、
   三位中将所労火急の処、母儀夢の告げ有り。即時平癒するの上、経時の病患また以
   て減を得をはんぬ。法験重疉す。言語の及ぶ所に非ず。勧賞に行わるべしてえり。
 

9月23日 乙卯 天晴
  寅の刻辰星垣星を犯す(相去ること二寸)。夜に入り子の刻月軒轅大星を犯す(一尺)。
 

9月27日 己未 天晴
  武州の不例再発し給うの処、今日酉の刻俄に絶入す。鎌倉中驚き騒ぐなり。これに依
  って夜に入り御第に於いて、七座の泰山府君・霊気・招魂等の祭これを行わる。
 

9月29日 辛酉 天晴
  入道大納言家八口の僧を屈請し、久遠壽量院に於いて八講を行わる。秉燭の後御布施
  を引かる。水谷左衛門大夫重輔・内蔵権の頭資親・讃岐の守親實等これを取る。これ
  故大相国(公経)周関の御追善なり。今日将軍家御腫物の事増気す。時長・以長等の
  朝臣参候すと。