1245年 (寛元3年 乙巳)
 
 

10月6日 丁卯
  寮米入道の後家改嫁の事、出羽の前司行義・明石左近将監兼綱等の奉行としてその沙
  汰有り。今日彼の後家分の所領を以て、本主の子息次郎国朝に付けらるるなりと。
 

10月9日 庚午 天晴
  今日天変の御祈り等を始行せらる。治部権の少輔これを奉行す。所謂、
  入道大納言家の御祈り。
    金輪法 (本覺院僧正)
    尊星王供(猷聖法印)
  将軍家の御祈り
    八字文殊法(大僧正御房)
    属星祭  (晴賢)
 

10月10日 辛未 甚雨
  将軍家の御祈りとして、御所に於いて属星祭を修せらる。晴賢これを奉仕す。甚雨の
  間、唐笠の下に於いてこれを勤行すと。治部権の少輔御使たり。
 

10月11日 壬申 雨下る、辰以後天晴
  日来京都に於いて、平将門の合戦状を以てこれを画図せしめらる。去る夕参着するの
  間、今日将軍の御方に於いて大殿これを覧る。教隆その詞を読み申す。事終わり御酒
  宴有り。武州経営すと。
 

10月12日 癸酉 天晴
  久遠壽量院に於いて如法法華経十種供養有り。導師は本覺院僧正。即ち今日永福寺の
  奥山に奉納せらる。これ大納言家の御願として日来勤行書写せらるる所なり。
 

10月13日 甲戌 天晴
  将軍家御不例減気の後、今日御沐浴の儀有り。医師六人召しに依って鞠の御壺に参り、
  各々禄を賜う。御馬・御劔等なり。時長・頼行・忠憲・以長・廣長・時清等召しに応
  ずと。
 

10月15日 丙子 天晴
  天変の御祈り等、内外数座これを行わる。
 

10月16日 丁丑 天晴
  殺害人泰継、去る月二十六日より上総権の介秀胤に召し預けらるる所なり。今日彼の
  国に下向す。孝俊は、また大蘇我七郎左衛門の尉相具し下野の国に赴くと。
 

10月19日 庚辰 天晴
  今日由比浜の大鳥居を建てらる。北條左親衛監臨せらる。人々群集すと。
 

10月28日 己丑
  臨時の評定なり。熊野河頬の尼の子息定憲申す榎木氏女召文に応ぜざる由の事、彼等
  の訴論の事、先日その沙汰有り仰せ切りをはんぬ。而るに尼問状を掠め給い、作毛を
  抑留すと。向後彼の訴訟を停止すべし。作毛は氏女に糺返すべきの旨仰せ出さるる所
  なり。長田兵衛太郎これを奉行す。
 

10月30日 辛卯 天晴
  入道大納言家、久遠壽量院に於いて報恩の舎利講を行わる。本覺院僧正唱導たり。童
  舞有り。事毎に花美を整えらると。