1246年 (寛元4年 丙午)
 
 

10月6日 辛卯 天陰、夜に入り雷鳴。
 

10月8日 癸巳
  左親衛盃酒を将軍家の御方に進せらる。舞女廻雪の袖を翻す。
 

10月9日 甲午 天晴
  左親衛宿願有るに依って、里第に於いて、今夜より如意輪秘法を修せらる。並びに大
  般若経を信読せらる。大納言法印隆弁両事を兼行すと。
 

10月13日 戊戌
  左親衛右大将家の法華堂に参らる。恒例の御仏事を聴聞せしめ給うと。

[葉黄記]
  関東より時頼の使い(安藤左衛門光成)上洛す。関東申次は相国(西園寺實氏)たる
  べきの由、これ定むと。徳政を行わるべきの由、また院に申し入ると。故泰時朝臣の
  計に依って、この八九年洛中要害の所々、守護の武士有り。終夜篝火を挙げ、万人枕
  を高くしをはんぬ。而るに皆停止すと。是非を知らず。
 

10月16日 辛丑
  御馬場殿の笠懸有り。将軍家殊に御入興。射手十二騎なり。その中左親衛工藤の六郎
  祐光・横溝の五郎等を挙げ申さると。
   北條の六郎  城の九郎   遠江の六郎  上野の十郎  武田の五郎三郎
   薩摩の七郎  工藤の六郎  横溝の五郎  三浦五郎左衛門の尉
   若狭の前司  相模の八郎  小笠原の余一
 

10月19日 甲辰
  将軍家御浜出有るべきの由御沙汰に及ぶ。今日然るべき射手の交名等を注し、これを
  撰び定めらる。駿河式部大夫奉行たりと。
 

10月22日 丁未 雨降る [葉黄記]
  後聞、御禊行幸官廰より出御有るべし。仍って今日官廰に行幸有るべし。而るに主上
  聊か御風気、閑院より出御か。将又御禊ぎ延引すべきか。評議を為すなり。殿下・大
  相国・前の内府参仕すと。

[百錬抄]
  主上明後日御禊ぎに依って、官廰に行幸有るべきの処御咳気。仍ってその儀無し。長
  和の例に准え閑院より出御有るべしと。
 

10月24日 己酉 晴 [葉黄記]
  大甞會御禊ぎなり。上皇二條東洞院の御桟敷(五間四面、唐紙障子を用ゆ。前の内府
  これを造進す)に於いて御見物。
 

10月29日 甲寅
  左親衛の御方如意輪法結願と。