1246年 (寛元4年 丙午)
 
 

11月3日 戊午
  京都の使者参着す。去る月二十四日御禊行幸無為に遂げらるるの由と。今度は閑院殿
  より出御す。先規無しと。

[葉黄記]
  今日院に於いて、甲乙訴訟以下の事評定有り。相国(西園寺實氏)・前の内府(土御
  門定通)参仕す。吉田中納言(為経)奉行す。毎月六ヶ度この事有りと。大甞會用途
  の事・長松御厨以下の事と。評定の人々関東に仰せらると。
 

11月9日 甲子 天晴
  今暁螢惑房的星を犯す。同じく太白ケン閇星を犯すと。
 

11月10日 乙丑
  将軍家また御不例の事有り。諸人周章すと。即ち内外の御祈り等を始めらると。
 

11月14日 己巳
  御浜出犬追物の事、今年は延引すべきの由仰せ出さる。御不例猶不快の故なり。
 

11月15日 庚午 [葉黄記]
  関東より貢馬を院に進す。桜井宮(覺仁親王)熊野三山の検校に補せらる。法親王こ
  れに補すこと、今度始めなり。前の大僧正道慶、入道大納言(頼経)の御吹挙に依っ
  て、御約束を蒙られをはんぬ。今時移るの間相違するか。
 

11月23日 戊寅 [葉黄記]
  大甞會叙位、勾勘御直廬に参りをはんぬ。
 

11月24日 己卯 晴 [葉黄記]
  大甞祭なり。用途の事、関東に仰せらるると雖も、これを進せず。諸国支配の過半ハ
  御禊用途に宛られをはんぬ。その儀幾ばくならず。大相国四万疋を進す。(略)管国
  役夫工を勤めず、然れども他国の例を引かるに、公田の外これを勤めず。諸国各々正
  税を募るべきの由仰せ下されをはんぬ。大祀用途、必ず臨時の徴下たるべからざる事
  なり。諸庄園の段別支配、建暦の沙汰か。旧例に非ず。
 

11月27日 壬午
  寅の刻大地震。