12月2日 丁亥
去る月二十三日の除目除書到着す。将軍家従四位下に叙し御うと。
12月6日 辛卯
御不例の事、今に於いては殊なる御事無しと。
12月7日 壬辰
去る月二十七日の除目の聞書到来す。将軍家少将元の如しと。
12月12日 丁酉
入道大納言家の御書左親衛の御方に到来す。條々仰せ下さるる事有るに依って、御請
文を申せらるべきや否や、内々人々の意見を問わる。委細に及ばずと雖も、御返事有
るべきかの由と。
12月17日 壬寅
悪党扶持の輩殊に厳制を加えらるべきの由、日来その沙汰有り。今日御教書を諸国の
守護・地頭等に下さると。その状に云く、
悪党並びに四一半打ちを籠め置く所領召さるべき事
右近日、国々の夜討ち・強盗蜂起の由普く風聞す。これ偏に所々の地頭等、悪党並
びに四一半打ち等を籠め置き、無沙汰を致すが故か。然からば或いは悪党を所領内
に籠め置き、或いは四一半を打たしむの所に於いては、早く交名を注進せらるべし。
所職を改易せらるべきなり。この旨を以てその国並びに知行の所々に下知せしめ給
うべしてえり。仰せに依って執達件の如し。
寛元四年十二月十七日 左近将監
某殿
12月25日 庚戌 [葉黄記]
前の相国使い(友景)を関東に遣わし、去る夜帰洛す。秘事等有るか。
12月27日 壬子
今暁将軍家御息災の御祈祷等を行わると。
12月28日 癸丑
今追い入るの者幕府台所に逃げ参る。敵人追い付くの内参入す。時に松田の彌三郎常
基昼番祇候の間、両方共これを搦め取る。仍って上下騒動す。相州より平左衛門の尉
・諏方兵衛入道を差し進せられ、各々事の由を尋ね問う。これ紀伊七郎左衛門の尉重
経の所従等なり。重経の丹後の国所領の得分物運送の疋夫、去る比財産を荷負いなが
ら逐電しをはんぬ。諸方を相尋ねるの処、只今米町の辺に於いて適々見逢うと雖も、
追奔するの処、度を失い推参するの由これを申す。即ち御沙汰を経られ、主人の所為
に非ずと雖も、彼の郎従すでに命を請けるの後の狼藉なり。縡勝事に及ぶの上は、件
の丹後の所領を召し放つべきの旨これを定めらると。
12月29日 甲寅
左馬権の頭入道昇蓮と上野入道日阿と、下総の国松岡庄田久安両郷の所務を相論す。
條々の内、去る文暦元年貢物所済の事、日阿当給人たるに依って、弁償せしむべきの
由、預所昇蓮訴え申すの間、日阿の拝領は文暦元年十二月十六日なり。全く彼の年貢
物を徴納せざるの上は、弁済し難きの旨、日阿これを陳ぶ。仍って日来その沙汰有り。
今日件の郷の本地頭忠幹に仰せ、弁を致せしむべきの由と。