1247年 (寛元5年、2月28日 改元 宝治元年 丁未)
 
 

8月1日 辛巳
  恒例の贈物の事、停止すべきの由諸人に触れらる。将軍家に進せしむの條、猶両御後
  見の外は禁制すと。
 

8月5日 乙酉
  京都大番役の事、誠勤を抽んずべきの由その沙汰有りと。
 

8月8日 戊子
  今日辰の一点、大曽祢左衛門の尉長泰使節として上洛すと。
 

8月9日 己丑
  左親衛桧皮寝殿に移住せしめ給う。本御居所を以て修理を加えらるべきに依ってなり。
 

8月13日 癸巳
  将軍家御不例の事有り。仍って御所に於いて泰山府君祭を行わる。為親朝臣これを奉
  仕す。左親衛参り給うと。
 

8月14日 甲午
  神馬・御劔等を相模の国一宮に奉らる。三浦六郎兵衛の尉時連御使たり。これ怪異の
  事に依ってか。
 

8月15日 乙未
  放生会延引す。去る六月の合戦触穢の上、彼の追討の余炎に依って、流鏑馬舎焼失す
  るが故なり。京都この事に就いて、去る六月九日(関東飛脚入洛の日)より七月五日
  に至るまで触穢と。
 

8月17日 丁酉 晴 [葉黄記]
  参院、雑事を奏す。関東使(筑前の前司行能子か(義員・義治と)。大曽祢左衛門の
  尉)入洛す。その勢四五百騎と。
 

8月18日 戊戌
  千手観音像を図絵せらる。将軍家御不例たる事に依ってなり。

[葉黄記]
  今夜関東使両人前の相国の許に向かう。即ちこれを相具し院に参らる。両人各々布衣
  を着すと。中門の辺に於いて相国直に問答有りと。この後殿下に参り直に御対面。次
  いで円満院宮に参り同じく直に御対面と。徳政を行わるべき事各々これを執り申すと。
  前の相国ハ院奏ばかりなり。勿論殿下また時々執柄左右に及ばず。円満院宮に参る。
  深義有るか。佐渡院宮御首服の事子細を申す。また神崎庄承久地頭を補す。大略役収
  し纔かに少年貢を進す。今地頭を止め一向院御領と為すべしと。宗形社年来修明門院
  御分なり。今これを止め院に進すと。この両所故泰村の知行なり。
 

8月19日 己亥 晴 [葉黄記]
  参院、即ち召しに依って御前に参り雑事を奏す。関東使者の申状ほぼ勅語有り。凡そ
  七ヶ條の事を申すと。大将軍・神崎庄・宗形社の事、宮御元服の事、勲功公家の賞沙
  汰に及ぶべからざる事、泰村返逆造意の事、今一ヶ條委しくこれを聞き及ばず。この
  条の大略友景を以て仰せ遣わさるるの御返事なり。
 

8月20日 庚子
  鎌倉中の保々に仰せ、浪人を註し追放すべきの由その沙汰有りと。
 

8月22日 壬寅
  将軍家御不例の事御平癒に及ぶと。
 

8月23日 癸卯 晴陰 [葉黄記]
  関東使下向すと。
 

8月27日 丁未 晴 [葉黄記]
  参院。神崎庄・宗像社廰の御下文成し進すべきの由仰せ有り。即ち下知を加えをはん
  ぬ。神崎庄は去年執事たるに依って、土御門大納言知行すべきの由御教書を下されを
  はんぬ。今地頭を止め一向庄務有るの時、二品拝領すべしと。(略)宗像社また中宮
  に進せらるべしと。