1248年 (宝治2年 戊申)
 
 

閏12月9日 [葉黄記]
  召し有るに依って殿下に参る。左府に譲与すべきの由と。行貞を以て使いとして関東
  に触れ遣わす。その返事到来す。この事計り申し難きなり。また徳政の事相伝え申し
  行わるべきの由これを申す。
 

閏12月10日 癸丑 天晴
  将軍家御方違えの為足利左馬の頭入道正義の大倉亭に入御す。
  供奉人 騎馬
   武蔵の守朝直       陸奥掃部の助實時
   北條の六郎時定      越後の五郎時家
   安藝の前司親光      那波左近大夫将監政茂
   縫殿の頭師連       肥後の前司盛時
   波多野出雲の前司義重   完戸壱岐の前司国家
   武蔵の四郎時仲      前の大蔵権の少輔朝廣
   佐々木壱岐の前司泰綱   和泉の前司行方
   伊賀の前司時家      筑後の前司行泰
   薩摩の前司祐長      弥次郎左衛門の尉親盛
   出羽次郎左衛門の尉行有  宇佐美籐内左衛門の尉祐泰
   城の次郎頼景       摂津左衛門の尉
   足立三郎左衛門の尉
  今日、大菩薩御影像を造畢せしめ、宮寺別当坊の持仏堂に入れ奉ると。
 

閏12月11日 甲寅
  還御の刻に及び、亭主御引出物を進す。
  その役人
   御劔(長幅輪)  宮内少輔泰氏
   羽櫃(蒔鶴)   上野の前司泰国
   一の御馬(黒並びに蒔絵鞍、糸鞦) 足利の三郎  同次郎
   二の御馬(鴾毛これを餝る)    里見の彌太郎 同蔵人三郎
 

閏12月12日 乙卯 天晴
  左親衛の御方の信読の大般若経結願すと。
 

閏12月13日 丙辰
  相州・左親衛等右大将家の法華堂並びに右京兆の墳墓堂等に参らしめ給う。恒例の御
  仏事の上、供養に副える経巻等有り。歳末たるに依ってなり。
 

閏12月16日 己未
  諸人訴論の事、沙汰を申す條数多々の奉行人に於いては、御恩有るべきの由、今日こ
  れを触れ仰せらると。
 

閏12月18日 辛酉
  西国の地頭等、事を左右に寄せ譜代の書生・田所職人を追放するの由、所々の訴え出
  来するの間その沙汰有り。子細を相尋ね、慥に件の濫吹を停止すべし。もし叙用せざ
  れば、その交名を注進すべきの旨、今日六波羅に仰せらる。明石左近将監奉行すと。
 

閏12月20日 癸亥
  明春正月の御弓始めの事、その堪否を試みんが為、陸奥掃部の助今日射手等を催せら
  るるの処、左親衛安東の五郎太郎を以て御使と為し、仰せ遣わされて云く、寒中の的
  調べは、射手の為尤も不便なり。且つは聊か暖気に属くの後、弓猶その躰を得るべき
  の旨、古老の射手等申す所なり。この上は明春その沙汰有るべきか如何と。掃部の助
  報じ申されて云く、年内の的調べは、古例たるに依って申し行うと雖も、頗る庶幾せ
  ざる事なり。今の仰せ旁々射手の所存に相叶うべきか。古老の口伝、向後の例たるべ
  きの由と。仍って旧年の的調べを止めらると。
 

閏12月23日 丙寅
  今日雑人訴訟の事その法を定めらる。その事書の様、
  一、雑人訴訟の事
   百姓等と地頭と相論の時、百姓その謂われ有らば、妻子・所従以下の資財・作毛等
   に於いては、糺明せらるべきなり。田地並びにその身を安堵せしむ事、地頭の進止
   たるべきか。
 

閏12月25日 戊辰
  関東御分の寺社幾ばくならず。一身に数箇所の別当・神主・供僧職等を兼帯する事、
  向後これを停止せらる。平均に補任の沙汰有るべきの旨評議に及ぶと。
 

閏12月26日 己巳
  佐々木法橋の孫子等相論の事有り。鴆毒を兄に與え、その身を殺せしめんと欲するの
  由と。糺明すべきの由、六波羅に仰せらるる所なり。
 

閏12月28日 辛未
  今日足利左馬の頭入道正義と結城上野入道日阿と書札の礼を相論する事、両方に宥め
  仰せられこれを閣かる。この事、去る比雑人の事に就いて、足利より結城に遣わす状
  に云く、結城上野入道殿、足利政所と。日阿この状を得て、返事を投じて云く、足利
  左馬の頭入道殿御返事、結城政所と。足利禅門甚だこれを憤り、子細を訴え申して云
  く、吾はこれ右大将家の御氏族なり。日阿は彼の時分に仕え、今に現存する者なり。
  相互に未だ子孫に及ばず。忽ち往事を忘れ奇怪を現す。爭か誡めの沙汰無からんやと。
  仍って彼の状を日阿に下さるるの時、日阿紙筆を費やすに能わずと称して一通の文書
  を献覧す。これ則ち右大将家の御時、宗たるの家子・侍の交名を注し、御判を載せら
  るるの御書なり。彼の禅門厳閤・総州と日阿(時に結城の七郎)と、同等の礼たるべ
  きの由分明か。右京兆(時に江間の小四郎)は家子の専一たるなり。相州これを披覧
  し、件の正文を筥の底に召し留め、御自筆を染め案文を書き日阿に授けらる。剰え同
  御自筆の消息状を副え送らる。その詞に云く、
   右大将家の御書正文一通給い置き候いをはんぬ。曩祖の潤色を載せらるるの間、家
   の規模たるが故なり。但し御用の時は、宜しく命に随うべし。且つは後日の為自筆
   を以て案文を書き進し候所なり。と
  日阿面目を施すと。