(吾妻鏡に記載無し)
1月23日 [北條九代記]
頼嗣正四位下に叙せらる。
2月1日 [皇年代略記]
閑院火事。
[五代帝王物語]
閑院は炎上ありしかば、富小路殿(冷泉富小路)内裏になる。この御所は小川右衛門
督入道親兼の家にてありしを、北山大相国の殿に成て今皇居とはなれり。
[百錬抄] 癸卯
子の刻、閑院内裏炎上地を払うと。主上大相国の冷泉富小路の亭に行幸す。
3月18日 庚寅 [皇代記]
改元。変異に依ってなり。
[百錬抄]
改元定めなり。宝治を改め建長と為す。内大臣已下参陣す。
3月20日 [皇年代略記]
五條の辺火事。
3月23日 [五代帝王物語]
大焼亡有て京中半に過て焼たり。北は押小路、南は八條、西は洞院、東は河原に至る。
結句は河原を吹こして、火焔飛来て蓮華王院の塔に付て、やがて御堂に移る。中尊は
出しまいらせて、千體の御佛もわづかに二百余體とかやぞ取出しまいらせける。(略)
さてこの火また新熊野の鐘楼宝蔵などに吹付て焼ぬ。すべて公卿の家だにも十余所、
雲客以下は数を知らず。
[百錬抄] 乙未
午の刻ばかり、炎上姉小路室町に起き、時に風四方に吹き散らす。煙九重に充満す。
三條以南・八條以北・西洞院以東・京極以西(五條以南河原に及ぶ)余焔遙かに飛ぶ。
蓮華王院に付き、御堂以下この日悉く焼亡す。
4月4日 乙巳 [百錬抄]
関東の飛脚到来す。閑院殿を造進すべきの由これを申す。
5月27日 戊戌 [皇年代略記]
後嵯峨第三子誕生(亀山院)、母は大宮院。
[百錬抄]
大宮院皇子御産。
5月28日 己亥 [百錬抄]
皇子御湯殿始めなり。
6月4日 [北條九代記]
重時陸奥の守に任ず。
6月14日 [北條九代記]
時頼相模の守に任ず。
6月16日 [北條九代記]
頼嗣左近中将に任ず。
7月20日 己丑 [百錬抄]
佐渡院追号の事を行わる(順徳院)。
8月*日 [北條九代記]
重時出家、法名観覺。
* 近日、山門衆徒蜂起す。天王寺別当山に付けらるべし、また一品親王山に置かるべき
の由訴え申すと。
11月23日 [北條九代記]
永福寺供養。導師は隆弁法印(若宮別当)。
12月13日 [北條九代記]
引付頭人を始めらる。政村(一)、朝直(二)、眞昭(三)。