1250年 (建長2年 庚戌)
 
 

1月1日 丁卯 天晴、風静まる
  椀飯(相州御沙汰)、御劔は前の右馬権の頭、御調度は秋田城の介、御行騰は出羽の
  前司行義。
   一の御馬(黒)   北條の六郎時定      諏方兵衛四郎盛頼
   二の御馬(河原毛) 武蔵の四郎時仲      尾張籐兵衛の尉
   三の御馬(黒駮)  大曽祢太郎左衛門の尉長泰 同次郎左衛門の尉盛経
   四の御馬(白鴾毛) 遠江次郎左衛門の尉光盛  同六郎左衛門の尉時連
   五の御馬(鹿毛)  城の九郎泰盛       同四郎時盛
 

1月2日 戊辰
  椀飯(足利左馬の頭入道沙汰)、御劔は武蔵の守朝直、御調度は宮内少輔泰氏、御行
  騰は佐渡の前司基綱。
   一の御馬 上野の三郎国氏      大平太郎左衛門の尉
   二の御馬 弥次郎左衛門の尉親盛   刑部次郎兵衛の尉
   三の御馬 信濃四郎左衛門の尉行忠  筑前次郎左衛門の尉行頼
   四の御馬 出羽次郎左衛門の尉行有  同三郎行資
   五の御馬 足利の太郎家氏      同次郎兼氏
 

1月3日 己巳
  椀飯(奥州御沙汰)、御劔は尾張の前司時章、御調度は陸奥掃部の助實時、御行騰は
  小山出羽の前司長村。
   一の御馬 陸奥の彌四郎時茂     宿屋の次郎忠義
   二の御馬 越後の五郎時長      浅羽次郎兵衛の尉
   三の御馬 出羽五郎左衛門の尉宣時  波多野の五郎秀頼
   四の御馬 上野弥四郎左衛門の尉時光 同十郎朝村
   五の御馬 遠江の六郎教時      尾張の次郎公時
 

1月13日 己卯
  下野の国結城郡、天より麥降る。焼くが如しと。

[北條九代記]
  頼嗣、美濃権の守を兼ねる。
 

1月16日 壬午 天晴
  将軍家鶴岡八幡宮に御参り。今年初度。御束帯(御車なり)。
  供奉人
   前の右馬権の頭政村     尾張の前司時章
   武蔵の守朝直        備前の前司時長
   陸奥掃部の助實時      宮内少輔泰氏
   遠江左近大夫将監時兼    佐渡の前司基綱
   小山出羽の前司長村     大蔵権の少輔景朝
   新田参河の前司頼氏     前の太宰の少貳為佐
   秋田城の介義景       壱岐の前司泰綱
   安藝の前司親光       能登左近大夫仲時
   内藤肥後の前司盛時     薩摩の前司祐長
   城の九郎泰盛        大曽祢左衛門の尉長泰
   上野三郎左衛門の尉廣綱   武藤左衛門の尉廣頼
   出羽次郎左衛門の尉行有   筑前次郎左衛門の尉行頼
   和泉次郎左衛門の尉行章   遠江次郎左衛門の尉光盛
   同六郎左衛門の尉時連    伊賀次郎左衛門の尉光房
   式部六郎左衛門の尉朝長   大須賀左衛門の尉朝氏
   肥後次郎左衛門の尉忠綱   伊東次郎左衛門の尉時光
   三村新左衛門の尉親時    彌善左衛門の尉康義
   豊後四郎左衛門の尉忠綱   伊東次郎左衛門の尉
   宇佐美籐内左衛門の尉祐泰  足立太郎右衛門の尉直光
   長三郎左衛門の尉朝連    常陸次郎兵衛の尉行雄
   和泉五郎左衛門の尉政泰   小野寺新左衛門の尉行通
    以上布衣を着す。
   上野の十郎朝村       波多野の小次郎宣経
   遠江の十郎頼連       小野澤の次郎時仲
   摂津新左衛門の尉      備後次郎兵衛の尉
   土肥の四郎實綱       隠岐新左衛門の尉時清
   加地の五郎次郎章綱     梶原左衛門の尉景綱
    以上直垂・帯劔。
 

1月27日 癸巳 雷鳴。
 

1月28日 甲午 天晴
  相州聊か御不例。黄疾を煩わしめ給うと。