1250年 (建長2年 庚戌)
 
 

9月4日 丁卯
  鶴岡の別当法印(隆弁)上洛す。園城寺の興隆並びに龍花会を執行せんが為と。
 

9月10日 癸酉
  諸人の訴論御成敗の事、専ら式條を守り、参差すべからざるの由、今日引付並びに問
  注所・政所に触れ仰せらると。
 

9月18日 辛巳
  久遠壽量院に於いて、一日中千巻の観音経を転読せらる。般若房律師門弟等を率いこ
  れを奉仕す。将軍家の御祈祷なり。御布施等の事政所の沙汰と。今日、雑人訴訟の事
  糺決せらるるの時、僻事たらば、十貫を以て橋用途に宛てらるべきの由、兼ねて請文
  を召し置き、沙汰有るべきの由定めらると。
 

9月19日 壬午
  相州の室家聊か病脳す。奥州渡御す。諸人奔集す。別して幾程を経ず復本せらると。
 

9月26日 己丑
  亥の刻相州の御亭失火す。
 

9月28日 辛卯
  名越の辺焼亡す。今日奥州調度等を相州に進せらる。火事に依ってなり。