1250年 (建長2年 庚戌)
 
 

10月7日 己亥
  京都大番の間の事その沙汰有り。諸御家人等、或いは惣領主を褊し、或いは守護人に
  背くの間、その方に属き勤仕せしむべきの由、近年頻りに望み申す。縡すでに濫吹の
  基なり。向後に於いては、若くは守護の催しに随い、若くは一門の上首に属きこれを
  勤むべし。雅意に任せる事免許有るべからざるの由と。
 

10月14日 丙午
  前の周防の守従五位下藤原朝臣朝親法師卒すと。
 

10月16日 戊申
  貢馬御覧なり。奥州・相州以下人々列参すと。