1250年 (建長2年 庚戌)
 
 

11月1日 壬戌
  三嶋社神事の間御精進を始めらる。殊なる御宿願に依って、今年専ら精誠を致せらる
  べきの間、兼ねて参籠人数の外は、推参の儀有るべからざるの由相触れらるる所なり。
 

11月11日 壬申
  夜に入り若宮大路大騒動。これ故塩谷周防の前司入道の郎従等、確論の事有るに依っ
  て闘乱に及ぶ。この間宇都宮下野の前司の郎等々方人と称し蜂起し、いよいよ喧嘩を
  増さんと欲す。すでに珍事なり。彼の輩の主人朝親法師他界の後、未だ忌景を過ぎず。
  幕府また御精進の折節なり。平生無慙の俗たりと雖も、盍ぞ公私の機嫌を存ぜざらん
  や。奇怪の企て、狼藉を為す事重科の由その沙汰有り。殊に炳誡を加うべきの旨、下
  野の前司泰綱に仰せ含めらる。仍って直にその場に向かい相鎮めるの間、無為すと。
 

11月20日 辛巳
  宇佐美左衛門の尉祐泰廷尉の事、御挙有るべきの由御沙汰に及ぶと。
 

11月28日 己丑
  放遊浮ソンの士、事を双六に寄せ、四一半の博奕を好み事と為す。就中陸奥・常陸・
  下総、この三箇国の間殊にこの態盛んなり。風聞の説有るに随い、今日驚き御沙汰有
  り。自今以後に於いては、囲碁の外、博奕に至らば一向停止すべきの由仰せ出さるる
  所なり。陸奥の国留守所兵衛の尉・常陸の国完戸壱岐の前司・下総の国千葉の介等、
  制禁を加うべきの由各々仰せの旨を含むと。
 

11月29日 庚寅
  鷹狩りの事、諸人すでに厳重の制符に背き、これを以て日次の業と為す。所処の喧嘩
  狼藉、職として斯に由る。仍って停止すべきの由、諸国の守護人等に仰せらる。その
  状に云く、
     鷹鶻の事
   右、右大将家の御時より、諸社の贄鷹の外は禁断の処、近年諸人好仕せしむと。甚
   だ然るべからず。自今已後に於いては、所々供祭の外は、大小鷹一向これを停止せ
   らる。この旨を存じ、当国中聞き及ぶに随い制止を加えらるべし。もし不承引の輩
   出来せば、早く註し申すべし。殊に御沙汰有るべきなりてえり。仰せに依って執達
   件の如し。
     建長二年十一月二十九日    相模の守
                    陸奥の守
        某殿