3月6日 丙寅
武蔵の国浅草寺、牛の如き者忽然と出現し寺に奔走す。時に寺僧五十口ばかり食堂の
間集会なり。件の恠異を見て、二十四人立ち所に病痾を受け、起居進退居風を成さず
と。七人即座に死すと。
3月7日 丁卯
去る月十四日熊野山神倉焼亡す。この事兼日相州の御夢想に在るの間、殊に驚き噪ぎ
賜う。造営等の事御助成有るの由と。
3月9日 己巳 天霽、風静かなり
今日相州御第に於いて法華経の形木を供養せらる。鶴岡の別当法印導師たり。これ年
来の御素願に依ってか。今事より功の集結せしむと。
3月10日 庚午 天晴
将軍家永福寺の花を御覧ず。女房輿を持ちいらる。武蔵の守・相模右近大夫将監・相
模式部大夫以下供奉たりと。
3月14日 甲戌
去る比、信濃の国諏方社頭の湖に大島並びに唐船等片時の間出現す。消えるが如くし
て失せると。この事先規無きの由、社家驚き申すと。
3月15日 乙亥 天晴
永福寺恒例の法会なり。前の右馬権の頭・武蔵の守等参堂すと。今日相州羅計二星を
造立し、供養せしめ賜う。各々御運を祈られ賜うべき事に依ってなり。