1251年 (建長3年 辛亥)
 
 

4月13日 癸卯 天晴
  相州、鷲大明神奉幣の為御使を武蔵の国に遣わすべきの処、三島の神事なり。他社御
  奉幣の事敢えてその憚り有るべきの由、当社の神主申す。仍って子細を若宮の別当法
  印に譲らるるの間、今日進発すと。
 

4月20日 庚戌
  国司・領家年貢の事、殊に精誠の弁済を致すべし。もし春三月已後、この事に就いて
  本所の訴訟出来せば、地頭本所に於いて申し分けらるべきの由仰せ出さると。
 

4月22日 壬子 雨
  若宮の別当法印武蔵の国鷲宮より帰参す。御祈願成就の奇瑞一ならず。去る十九日社
  頭に於いて御神楽の砌、一の見事、託宣尤も厳重なり。殊にその奇特有るの由と。
 

4月23日 癸丑 甚雨
  二十一日より止まず。今夜子の刻洪水。村里の家・耕所の苗、悉く以て流失すと。
 

4月26日 丙辰
  去る十九日上野の国赤木嶽焼ける。先例兵革の兆たるの由、在廰等申せしむるの由と。