1252年 (建長4年 壬子)
 
 

1月1日 丙戌 天晴
  椀飯、相州御沙汰。
   御劔 前の右馬権の頭、御調度 尾張の前司、御行騰 秋田城の介。
   一の御馬 武蔵の四郎      同五郎
   二の御馬 遠江の六郎      尾張の二郎
   三の御馬 加地太郎左衛門の尉  壱岐の三郎
   四の御馬 肥後次郎左衛門の尉  同四郎左衛門の尉
   五の御馬 北條の六郎      尾籐の二郎
 

1月2日 丁亥 雪降る
  椀飯、奥州御沙汰。
   御劔役 武蔵の守、御調度 備前の前司、御行騰 出羽の前司。
 

1月3日 戊子 天霽
  椀飯、左馬の頭入道沙汰有り。
   御劔 尾張の前司、御調度 秋田城の介、御行騰 和泉の前司。
  今日将軍家並びに若君御前御行始め、相州の第に入御す。
 

1月5日 庚寅 天晴
  評定始めなり。奥州・相州以下出仕す。その後御台所奥州の第に御行始め、二品は信
  濃民部大夫入道行然の家に渡御すと。
 

1月7日 壬辰
  子丑の二時世上騒動し、諸人競い馳す。甲冑を着し旗を揚げ、幕府並びに相州の御第
  に馳参す。暁更に及び静謐すと。
 

1月8日 癸巳 霽
  幕府の心経会なり。将軍家御出座例の如し。
  親王家(上皇第一皇子)仙洞に於いて御首服。保延の例を用いらる。加冠は左大臣(兼
  平)、年預は左中弁顕雅朝臣今日の事を行う。殿下(直衣)参り給う。これより先、
  殿下親王御袍(紫立涌雲、文打裹)・御笏(檀紙を以てこれを裹む)等を献らる。蔵
  人左衛門権の佐資定御使たりと。御加冠の後、三品に叙せしめ御う。

[増鏡]
  さても、院(後嵯峨)の第一の御子(宗尊親王)は、右中弁平の棟範のぬしのむすめ。
  その御腹にいでものし給へりしかど、当代(後深草)生まれさせ給ひにし後は、おし
  けたれておはしますに、あづまの主になし聞えてむとおぼして、院の御前にて御冠し
  たまふ。御門の御元服にも、ほとほと劣らず、くらづかさ何くれきよらに盡し給ふ。
  やがて三品の加階たまはり給ふ。御年十一なるべし。中務卿宗尊親王と申すめり。
 

1月9日 甲午 天晴
  相州の御第に於いて、室家御懐妊祈祷の為薬師護摩を始行せらると。若宮法印これを
  奉仕す。
  親王御行始め。殿上人(騎馬)・公卿六人軒を連ね、承明門院に入御す。御賜物有り
  と。

[百錬抄]
  親王御元服の後承明門院の御所に入らしむ。即ち還御す。
 

1月11日 丙申 雨降る、酉の刻雷鳴一声
  今日鶴岡若宮の御供飯半ばより二つに破る。また三百余枚積む処の餅顛落す。次いで
  同御殿と舞殿との間の樋の内に鵄一羽死す。この外大慈寺前の河中に鵄二十一羽死す
  なり。
 

1月12日 丁酉 天晴
  今夜戌の刻珍しきこと有り。これ刑部僧正長賢の霊なり。十三歳の少女(伊勢の前司
  郎等の女)小託せしむ。承久年中の旨語り申すと。件の女遽に狂気有り。長能僧都に
  対面すべきの由所望するの間、その母抑留するに能わず。なまじいに同輿せしめ、長
  能の大倉坊に行き向かう。途中に於いて少女輿より下り僧都の家中に馳せ入る。長能
  掲焉せしむるの間、以往の事を語る。長能自らこれを聴き頗る執信す。時に彼の母の
  勧めに依って、併しながら加持これを試む。少女云く、隠岐法皇の御使として、去る
  比より関東に下向せしむに於いて、日来相州の第に住せしむの処、隆弁法印彼の亭に
  陪し転経するの間、護法天等の柱杖に、件の類追い出されをはんぬ。今に於いては、
  帰洛の時院の御所にこれを申しての後、明年重ねて下向すべきなり。当時荏柄の後山
  に有るの間、目にこの女性の許を見らるるに於いて、更に不思議に入るかと。詞終わ
  り絶入せしむ。時移り遽に蘇生せんと欲すと雖も、心神惘然たりと。
 

1月13日 戊戌
  右大将家の法華堂に於いて恒例の御仏事を行わる。然るを工藤三郎右衛門の尉光泰奉
  行として参堂す。次いで去る夜の天狗霊託の事、帰参するの後相州に申すの間、彼の
  少女の母を召し出し尋ね給うに就いて、委細を言上す。今更法験を信じ仰せしめ給う
  と。
 

1月14日 己亥 天晴
  御弓始め有り。然るを多賀谷の五郎景茂清撰の記に加えらる。今日射手に加えんと欲
  するの処、今朝相州安東左衛門光成を以て御使として、然るべき射手に在らざるに依
  って、止めらるべきの旨小侍所に仰せらる。仍って止めらるるの間、合手海野の四郎
  助氏同じくこれを止めらる。残る所の十人二五度射ると。
  射手
   一番 二宮の彌次郎時光   平井の八郎清頼
   二番 桑原の平内盛時    山城三郎左衛門の尉忠氏
   三番 棗右近三郎      眞板の五郎次郎経朝
   四番 横溝の五郎七郎忠光  布施の三郎行忠
   五番 武田の七郎五郎政平  早河の次郎太郎祐泰
 

1月27日 壬子
  未の刻海浜の波濤の色紅の如し。就中由比浦より和賀江嶋に至るまで此の如し。諸人
  これを怪しむ。仍って御占いを行わるるの処、吉事と。