1252年 (建長4年 壬子)
 
 

10月3日 甲寅 天晴
  午の刻相州室家妊帯を着けしめ給う。加持は鶴岡の別当法印と。安東左衛門の尉光成
  御使たり。御帯を彼の雪下の本坊に持ち向かうと。
 

10月8日 己未 天晴
  将軍家御悩平愈の事、二所・三嶋等の諸社に報賽有るべきの由その沙汰有りと。
 

10月14日 乙丑 天陰
  民間の愁訴を休めんが為、今日條々を定めらる。倫長・満定これを奉行す。
  一、牛馬盗人・人勾引の事
    この犯両三度に及わば、妻子もその科を遁るべからず。
  一、放火の事
    強盗に准え宜しく禁遏すべし。
  一、殺害刃傷人の事
    その身ばかりを召し禁しむべし。父母・妻子・親類・所従等に至りては、咎に懸
    くべからず。
  一、竊盗の事
    小過たりと雖も両度に及わば、一身の咎に准うべし。
  一、賦物の事
    御式目に任すべきか。
  一、諍論の事
    土民の習い、手攫の如くせしむと雖も、疵無きに於いては罪科に処すべからず。
  一、山賊・海賊・夜討ち・強盗等の事
    先々の法に任せ、條々その沙汰たる事
  一、他人の妻に密懐する事
    名主・百姓等中他人の妻に密懐する事、訴人出来せば、両方を召し決し、證拠を
    尋ね明かすべし。名主過料三十貫文、百姓過料五貫文、女罪科の事以て同前。
 

10月16日 丁卯 天晴
  沽酒の禁制殊にその沙汰有り。悉く以て壺を破却せらる。而るに一屋一壺はこれを宥
  めらる。但し他事に用いるべし。造酒の儀有るべからず。もし違犯の輩有らば罪科に
  処せらるべきの由、固くこれを定め下さると。