1252年 (建長4年 壬子)
 
 

12月13日 癸亥 天晴
  昨日より将軍家御悩。今日戌の刻御増気。仍って相州参らしめ給う。俄に南門に於い
  て土公・鬼気等の祭を行わる。為親朝臣これを奉仕す。出羽の前司行義奉行たり。御
  使は右近蔵人仲時。
 

12月16日 丙寅 天晴
  辰の刻日の南北西に珥有り。六尺これを去り、皆色は青赤白在るの由、司天等これを
  申すと。
 

12月17日 丁卯 天晴
  将軍家御移徙の後、今日始めて鶴岡八幡宮に御参り。御悩の余気有りと雖も抑え御出
  (御車、御直衣)と。
  供奉人
  先陣の随兵
   北條の六郎時定  遠江の六郎教時  陸奥の彌四郎時茂  足利の次郎兼氏
   遠江の太郎清時  三浦の介盛時   城の九郎泰盛    長井の太郎時秀
   尾張の次郎公時  武蔵の四郎時仲
  御車
   城の次郎頼景      和泉七郎左衛門の尉景経 狩野五郎左衛門の尉為廣
   足立三郎左衛門の尉元氏 式部兵衛次郎光泰    長雅楽左衛門の尉
   鎌田の三郎       海上の彌次郎胤景    土肥の四郎實綱
   武田の七郎政平     常陸次郎兵衛の尉行雄  渋谷左衛門の尉武重
   肥後四郎兵衛の尉行定(以上直垂、帯劔)
  御劔役人 前の右馬権の頭(布衣)
  御後(布衣)
   陸奥の守        相模の守        尾張の前司時章
   武蔵の守朝直      陸奥掃部の助實時    相模右近大夫将監時定
   相模式部大夫時弘    越後の五郎時家     足利の太郎家氏
   佐渡の前司基綱     小山出羽の前司長村   秋田城の介義景
   参河の前司頼氏     前の大蔵権の少輔朝廣  出羽の前司行義
   下野の前司泰綱     前の太宰の小貳為佐   和泉の前司行方
   壱岐の前司泰綱     後藤壱岐の前司基政   伊賀の前司時家
   伊勢の前司行綱     大隅の前司忠時     遠江次郎左衛門の尉光盛
   大曽彌左衛門の尉長泰  武藤左衛門の尉景頼   梶原左衛門の尉景俊
   上野五郎兵衛の尉重光  彌次郎左衛門の尉親盛  豊後四郎左衛門の尉忠時
   出羽次郎左衛門の尉行有 大曽彌次郎左衛門の尉盛経 小野寺左衛門の尉道時
   太宰肥後次郎左衛門の尉為時 天野和泉五郎左衛門の尉政泰 小田左衛門の尉時知
   天野肥後左衛門の尉景氏 押垂左衛門の尉時基   足立太郎左衛門の尉元直
   出羽籐次左衛門の尉頼平 善右衛門の尉康長    完戸壱岐次郎左衛門の尉家氏
   伯耆の三郎清経     式部兵衛太郎光政
  後陣の随兵
   出羽の三郎行資   江戸の七郎太郎長元 上野の十郎朝村  武石の四郎胤氏
   阿曽沼の小次郎光綱 海上の次郎胤方   遠江の六郎    薩摩の八郎祐氏
   武田の五郎三郎政綱 南部の次郎實光
 

12月27日 丁丑 天霽
  立春節分御方違えの事、御悩の余気未だ散ぜしめ御わざるの間、御所西対の北妻に渡
  御すと。奥州盃酒・御引出物を献らると。