1253年 (建長5年 癸丑)
 
 

12月8日 壬子
  子の刻若宮大路下下馬橋の辺焼亡す。前浜の民屋を限り、その中間の人家悉く以て災
  す。今日前の筑前の守行泰政所執事と為ると。
 

12月9日 癸丑 晴
  従五位下藤原朝臣行盛法師(法名行然)卒す(年七十三)。
 

12月21日 乙丑 晴
  前の甲斐の守正五位下大江朝臣泰秀卒す(年四十二)。
 

12月22日 丙寅 晴
  前の和泉の守藤原行方四番の引付頭人と為る(行盛入道卒去の替わり)。前の筑前の
  守藤原行泰五番の引付頭に補す(義景入道卒去の替わり)。
   引付
  一番 前の右馬権の頭政村 佐渡の前司基綱    備後の前司廣持
     伊勢の前司行綱   城の九郎泰盛(初加) 中山城の前司盛時
     内記兵庫の允祐村  山名の進次郎
  二番 武蔵の守朝直    出羽の前司行義    伊賀式部大夫入道光西
     清左衛門の尉満定  越前兵庫の助政宗   皆吉大炊の助文幸
     対馬左衛門の尉仲康
  三番 尾張の前司時章   陸奥掃部の助實時   常陸入道行日
     城の次郎頼景    大曽彌左衛門の尉長泰 新江民部大夫
     大田太郎兵衛の尉  長田兵衛太郎
  四番 前の太宰の少貳為佐(追加) 和泉の前司行方(今日頭人に加う)
     対馬の前司倫長   武藤左衛門の尉景頼  深澤山城の前司
     甲斐の前司     山名中務の丞
  五番 筑前の前司行泰   参河の前司教隆    大田民部大夫
     進士次郎蔵人    明石左近将監     越前の四郎
  今日申の刻、御所に長日の尊勝陀羅尼並びに御本尊供養を始行せらる。和泉の前司行
  方これを奉行す。丑の刻経師谷口失火す。北風頻りに扇き、余災の炎浜の御倉前に追
  い、焼死者十余人と。
 

12月28日 壬申
  若宮別当僧正京都より下着す。去る十月如意寺の鎮守諸社を勧請せんが為上洛すと。
 

12月30日 甲戌
  正朔御行始め供奉人の事、筵上座席に着け置く所の札を取り集め、その交名を注し、
  御点を申し下し相催せらると。