5月1日 壬申
人質の事沙汰有り。その法を定められ、今日施行せらると。所謂御制以前質券を入れ
流すと雖も、御制以後訴訟を経るに至らば、早く一倍の弁を致すべし。人質の事は沙
汰に及ぶべからず。凡そ御制以後質人の事は、一向停止すべきの由と。此の如く申し
沙汰すべきの旨、相州より問注所に仰せらると。勧湛・實綱・寂阿奉行たり。
[鎌倉幕府法]
一、人質の事、人倫売買の御制以前、訴訟を致し問状を給うに於いては、證文に任せ
質人を流すべきなり。次いで御制已前、これを入れ流すと雖も、御制以後、訴訟を
経るに至らば、早く一倍の弁を致し、人質の事沙汰に及ぶべからず。凡そ御制已後、
人質の事は、一向停止に従うべきなり。この趣を以て奉行せしめ給うべきの旨、仰
せ下され候なり。仍って執達件の如し。
建長六年五月一日 勘甚 判
實綱 判
寂阿 判
大田民部大夫殿
5月5日 丙子 晴
鶴岡神事例の如し。但し下廻廊中の巽方に於いて闘乱有り。疵を被る者三人・死者一
人。また流鏑馬の箭に中たる者二人。馬蹄に踏み殺さるる者一人と。彼是直なる事の
みに非ざるか。
5月7日 戊寅 陰
一昨日の鶴岡廻廊の殺害触穢の間、造替有るべきの由評議を経らる。また陰陽師等を
召し、評定所に於いて、彼の殺害の事御占いを行わる。晴茂・為親・晴宗、各々別紙
にこれを勘じ申す。
5月8日 己卯
聖福寺神験宮に於いて舞楽有りと。
5月9日 庚辰 霽
去る比石清水八幡宮自害の僧有るの由、彼の宮使これを申す。