1254年 (建長6年 甲寅)
 
 

5月1日 壬申
  人質の事沙汰有り。その法を定められ、今日施行せらると。所謂御制以前質券を入れ
  流すと雖も、御制以後訴訟を経るに至らば、早く一倍の弁を致すべし。人質の事は沙
  汰に及ぶべからず。凡そ御制以後質人の事は、一向停止すべきの由と。此の如く申し
  沙汰すべきの旨、相州より問注所に仰せらると。勧湛・實綱・寂阿奉行たり。

[鎌倉幕府法]
  一、人質の事、人倫売買の御制以前、訴訟を致し問状を給うに於いては、證文に任せ
   質人を流すべきなり。次いで御制已前、これを入れ流すと雖も、御制以後、訴訟を
   経るに至らば、早く一倍の弁を致し、人質の事沙汰に及ぶべからず。凡そ御制已後、
   人質の事は、一向停止に従うべきなり。この趣を以て奉行せしめ給うべきの旨、仰
   せ下され候なり。仍って執達件の如し。
     建長六年五月一日       勘甚 判
                    實綱 判
                    寂阿 判
   大田民部大夫殿
 

5月5日 丙子 晴
  鶴岡神事例の如し。但し下廻廊中の巽方に於いて闘乱有り。疵を被る者三人・死者一
  人。また流鏑馬の箭に中たる者二人。馬蹄に踏み殺さるる者一人と。彼是直なる事の
  みに非ざるか。
 

5月7日 戊寅 陰
  一昨日の鶴岡廻廊の殺害触穢の間、造替有るべきの由評議を経らる。また陰陽師等を
  召し、評定所に於いて、彼の殺害の事御占いを行わる。晴茂・為親・晴宗、各々別紙
  にこれを勘じ申す。
 

5月8日 己卯
  聖福寺神験宮に於いて舞楽有りと。
 

5月9日 庚辰 霽
  去る比石清水八幡宮自害の僧有るの由、彼の宮使これを申す。