1254年 (建長6年 甲寅)
 
 

11月5日 甲辰
  熊野山本宮造営の事、雑掌の参訴に就いてその沙汰有り。且つは彼の社領美濃の国垣
  富以下所々の地頭等、色代を止め現物を済すべきの由これを仰せ出さると。
 

11月16日 乙卯 天晴
  足利左馬の頭入道正義の病脳すでに危急に及ぶの間、これを訪われんが為相州彼の第
  に向わしめ給うと。
 

11月17日 丙辰
  御所中の近習の輩は、面付公事を免ずべきの旨、景頼を以て仰せらる。相州御定に依
  るべきの由これを申さると。
 

11月18日 丁巳 晴
  酉の刻大地震。
 

11月21日 庚申 霽
  入道正四位下行左馬の頭源朝臣義氏(法名正義)卒す。