1254年 (建長6年 甲寅)
 
 

12月1日 己巳
  五方引付更に結番せらるなり。
  引付
  一番 前の右馬権の頭   佐渡の前司     備後の前司
     伊勢の前司     城の九郎      中山城の前司
     内記兵庫の允    山名の進次郎    佐籐右京の進(新加)
  二番 武蔵の守      出羽の前司     伊賀式部大夫入道
     縫殿の頭(新加)  清左衛門の尉    越前兵庫の助
     皆吉大炊の助    対馬左衛門の尉
  三番 尾張の前司     掃部の助      常陸入道
     大曽彌左衛門の尉  城の次郎      江民部大夫
     大田太郎兵衛の尉  長田兵衛太郎
  四番 和泉の前司     武藤左衛門の尉   対馬の前司
     前の太宰の少貳   那波左近大夫将監(新加) 深澤山城の前司
     甲斐の前司     山名中務の丞    雑賀の太郎(新加)
  五番 筑前の前司     参河の前司     大田民部大夫
     長井の太郎(新加) 明石左近将監    進士次郎蔵人
     善刑部の丞(新加) 越前の四郎     対馬左衛門次郎
 

12月12日 庚辰
  今日御所に於いて評定有り。その後相州召しに依って御前に参り給う。兼ねて酒肴を
  儲けらる。御一門の若輩並びに佐渡の前司基綱・和泉の前司行方・前の太宰の少貳為
  佐以下宿老多く以て座に候す。魚鳥等を召し出さる。その砌に於いて壮士等をしてこ
  れを包丁せしむ。相州殊に入興すと。御酒宴殆ど歌舞の儀に及ぶと。
 

12月17日 乙酉
  今日内記兵庫の允染鞦の故実を注進す。別の仰せに依ってなり。彼の家代々上総の国
  に於いてこの事を奉行せしむと。
 

12月18日 丙戌
  御所に於いて光源氏物語の事御談議有り。河内の守親行これに候すと。
 

12月20日 戊子
  今日評定の間、御家人官途の事、別の仰せに就いてその沙汰に及ぶ。これ近習要須の
  輩等の事に於いては、指せる朝要の顕職に非ずんば、毎度成功を付けざると雖も、臨
  時の内給を申請せらるべしと。但し人に依り御斟酌有るべきか。清左衛門の尉奉行す
  と。
 

12月23日 辛卯
  評定衆並びに然るべき大名の外の輩は、出仕と云い私の出行と云い、騎馬の共人を具
  すべからず、凡そ晴儀に非ずんば、僮僕の員減定すべきの旨普く相触るべきの由、侍
  所司等に仰せ付けらるる所なり。
 

12月25日 癸巳
  夜に入り右大将家の法華堂震動す。三浦大炊の助太郎兼日夢想を蒙り、人々に告げ申
  すの事有りと。
 

12月26日 甲午
  法華堂に於いて、別当に仰せ、密々不動護摩を修せらる。供料等は相州これを沙汰せ
  しめ給う。これ夢想震動の事に依ってなり。