1256年 (建長8年、10月5日 改元 康元元年 丙辰)
 
 

9月1日 戊子 霽
  将軍家御悩は赤班瘡なり。若宮の別当僧正宮寺に参籠し、御祈祷を致さる。この事当
  時流布し、諸人これを免がれず。祈祷の為諸堂に於いて百座の仁王講を行わる。清左
  衛門の尉満定これを奉行す。

**[百錬抄]
  近日、赤班瘡世間に流布し、上下病脳す。
 

9月3日 庚寅 晴
  また御悩の御祈祷等有り。松殿法印良基・左大臣法印厳恵、各々薬師護摩を修す。七
  座の泰山府君は宣賢・為親・晴長・廣資・以平・晴憲・晴宗。この外七座の霊所祓い
  ・天冑地府・御当年星・呪咀等の祭を行わる。
 

9月5日 壬辰 [百錬抄]
  天皇赤班瘡を煩わしめ御う。
 

9月10日 丁酉
  相州の第に於いて大般若経を転読せらると。
 

9月15日 壬寅 陰
  相州赤班瘡を悩ましめ給う。
 

9月16日 癸卯 朝間雨降る
  晩に及び相州不例の事、去る六月二十六日御衰日に当たり、始めて出仕せしめ給うの
  間、今この御不例その煩い有るべきの由、陰陽道これを勘じ申す。仍って泰山府君祭
  を行わる。また相州の女子赤班瘡有り。邪気相交ると。
 

9月19日 丙午 甚雨降る
  申の刻将軍家御沐浴。陰陽少允晴宗御身固めに候す。管領医師権侍医長世禄を賜う。
  中御門少将公仲朝臣、御衣(五単)・御劔(金作り)等を取る。次いで御馬を給う。
  式部太郎左衛門の尉光政これを引く。東屏中門の内に於いてこの儀有り。今日武州の
  嫡男(四歳)赤班瘡を労うと。
 

9月25日 壬子 陰
  相州御不例平愈の間、始めて手足を洗わしめ給うと。

[百錬抄]
  主上赤班瘡の御悩御落居の後、始めて御沐浴と。雅尊親王(院皇子、女院御腹)薨ず
  (赤班瘡に依ってなり)。三位中将頼嗣卿薨ず(赤班瘡に依ってなり)。
 

9月28日 乙卯
  越後の守の室赤班瘡所労と。
 

9月29日 丙辰 天晴
  相州御沐浴。
 

9月30日 丁巳 陰
  民部大夫康連病痾危急に依って、問注所執事を辞す。子息康宗その闕に補す。