1256年 (建長8年、10月5日 改元 康元元年 丙辰)
 
 

10月2日 己未 霽
  六波羅の飛脚参着す。去る月二十七日四宮(雅尊親王)薨御す。また二十四日前の将
  軍三位中将家御早世の由これを申す。
 

10月3日 庚申 晴
  散位従五位上三善朝臣康連卒す(年六十四)。
 

10月5日 壬戌 [百錬抄]
  改元(建長を改め康元と為す)。権大納言良教卿以下これに参る。赤班瘡に依ってな
  り。
 

10月9日 丙寅 晴、南風、夜に入り雨降る
  改元の詔書到来す。去る五日建長八年を改め康元元年と為す。同日相国の御息女遷化
  すと。
 

10月13日 丙辰
  相州の姫君卒去す。日来御祈祷有り。日光法印(尊家)愛染王供を修せらる。法印清
  尊千手供たり。阿闍梨兼俊験者、各々有事の後壇を破り退出すと。
 

10月23日 庚辰
  右近大夫将監時定朝臣素懐に依って出家を遂ぐと。
 

10月26日 癸未 天晴
  四の宮の御事並びに相州の軽服に依って、三嶋の御神事以下皆これを停止せらる。太
  宰の権の少貳景頼奉行たり。参河の守教隆ばかりを召され、御除服有るべきや否やを
  問わる。申して云く、彼の宮は御年三歳なり。七歳以前は重軽服無し。仍ってこの儀
  を止めらる。
 

10月29日 丙戌 天晴
  貢馬を御覧ず。奥州以下の数輩出仕す。