7月1日 癸丑 天晴、日中小雨灑ぐ
炎旱の間、加賀法印祈雨の事を奉る。昨日七箇日に満つと。
7月5日 丁巳 甘雨下る
去る二日より、若宮別当僧正祈雨法を修せらると。
[増鏡]
正嘉元年の春の頃より、承明門院御悩おもらせ給へば、院もいみじう驚かせ給ひて、
御修法なにかと聞えつれど、遂に御年八十七にてかくれさせ給ひぬ。
[百錬抄]
承明門院(在子)崩御(八十六)。 6日戊午、同御葬礼。
7月8日 庚申 天晴
和泉の前司行方を以て御使と為し、御馬・御劔等を若宮別当坊に遣わさる。祈雨法を
奉仕するの後、五日より雨下る。同六七の両日甚雨なり。
7月10日 壬戌 陰
六波羅の飛脚参着す。去る五日承明門院崩御の由これを申す。而るに後三條院の御時
陽明門院の例に任せ、上皇五箇日の御服たるべしと。
7月12日 甲子 陰
内蔵権の頭親家使節として上洛す。女院の御事に依ってなり。
7月13日 乙丑 晴、夜に入り雨降る
前浜の鳥居の辺に於いて、寛喜の例に任せ風伯祭を行わる。天文博士為親朝臣(束帯)
これを奉仕す。御使は足立左衛門大夫(布衣)。祭文の草は給料廣範、清書は左大臣
法印厳恵。これ天下豊年の御祈祷たるなり。