1257年 (康元2年、3月14日 改元 正嘉元年 丁巳)
 
 

11月8日 己未
  大地震、去る八月二十三日の如し。
 

11月22日 癸酉 晴
  丑の刻若宮大路焼失す。籐次郎左衛門入道の家失火す。花山院新中納言・陸奥の七郎
  ・下野の前司・内蔵権の頭・式部大夫入道の旧宅・壱岐の前司・伊豆太郎左衛門の尉
  ・前の縫殿の頭文元等の亭悉く以て災す。田楽辻子に至り火止む。
 

11月23日 甲戌 晴
  酉の刻越後の守實時朝臣の息男(十歳)、相州禅室の御亭に於いて元服す。越後の四
  郎時方と号す。理髪は丹後の守頼景、加冠は相模の太郎(七歳)。
 

11月24日 乙亥
  明年正月御的の射手等これを差し定めらる。越後の守奉書を下さると。