1258年 (正嘉2年 戊午)
 
 

1月1日 辛亥 天晴
  椀飯(相州禅室御沙汰)。両国司大庇に候せらる。その外庭上の東西に着座す。
  西座
   武蔵の前司   尾張の前司     遠江の前司     越後の守
   刑部少輔    陸奥の六郎     越後の四郎     陸奥の七郎
   出羽の前司   下野の前司     那波刑部権の少輔  和泉の前司
   長門の前司   丹後の守      江石見の前司    秋田城の介
   長井の太郎   筑前次郎左衛門の尉 弾正忠       対馬の前司
   後藤壱岐の前司 上野の介      日向の守      佐々木対馬の守
   武藤少卿    大田民部大夫    清左衛門の尉    善左衛門の尉
   城五郎左衛門の尉    同六郎         城の彌九郎
   太宰肥後次郎左衛門の尉 同三郎左衛門の尉    和泉六郎左衛門の尉
   出羽三郎左衛門の尉   筑前三郎左衛門の尉   隠岐三郎左衛門の尉
   式部太郎左衛門の尉   下野の四郎       武石左衛門の尉
   常陸次郎兵衛の尉    肥後三郎左衛門の尉   筑前四郎左衛門の尉
   伊勢次郎左衛門の尉   武藤左近将監      渋谷太郎左衛門の尉
   武藤次郎左衛門の尉   筑前五郎左衛門の尉   上野太郎左衛門の尉
   後藤壱岐新左衛門の尉  波多野出雲左衛門の尉  加藤左衛門の尉
   後藤四郎左衛門の尉   長又太郎左衛門の尉   長門の守
   上総の介        大曽彌左衛門七郎    伊賀式部兵衛次郎
   山内三郎左衛門の尉   佐渡五郎左衛門の尉   土肥の四郎
   梶原上野の三郎     対馬の三郎       宇都宮石見の守
  東座
   中務大輔    越後右馬の助    相模式部大夫    駿河の五郎
   遠江の七郎   武蔵右近大夫将監  相模の三郎     遠江右馬の助
   尾張左近大夫将監 上総の三郎    民部権大輔     備前の三郎
   遠江の次郎   越後の又三郎    武蔵の五郎     遠江修理の亮三郎
   武蔵の八郎   新田参河の前司   少輔左近大夫    小山出羽の前司
   畠山上野の三郎 越中の前司     嶋津大隅の前司   参河の前司
   摂津大隅の前司 近江の前司     籐肥前の前司    周防の守
   石見の前司   周防修理の亮    河内式部大夫    備中判官代
   白河出雲権の守 押立左近大夫    那波の次郎     美作左近大夫
   少輔木工の助太郎 赤塚蔵人     安藝左近蔵人    宗掃部の助
   長井判官代   和泉三郎左衛門の尉 得河左近大夫    駿河蔵人次郎
   皆吉大炊の助  大隅修理の亮    大隅式部大夫    大隅大炊の助
   信濃蔵人    安藝掃部大夫    宗民部大夫     佐藤民部大夫
   後藤四郎左衛門の尉   鎌田左衛門の尉     紀伊次郎左衛門の尉
   薩摩七郎左衛門の尉   進三郎左衛門の尉    荻野新左衛門の尉
   豊後新左衛門の尉    周防三郎左衛門の尉   紀伊次郎左衛門の尉
   善五郎左衛門の尉    平岡左衛門の尉     籐肥前三郎左衛門の尉
   善次郎左衛門の尉    大隅式部の丞      遠江大炊の助三郎
   周防四郎左衛門の尉   後藤彌四郎左衛門の尉  大須賀新左衛門の尉
   隠岐次郎左衛門の尉   大田四郎左衛門の尉   鎌田三郎左衛門の尉
   長田左衛門の尉     津戸新民部の丞     周防五郎左衛門の尉
   鎌田新左衛門の尉    鎌田次郎兵衛の尉    和泉次郎左衛門の尉
   萩原左衛門の尉     那須左衛門の尉     齋藤右馬の允
   大隅の四郎       大須賀の四郎      河内の太郎
   周防の五郎       出雲の三郎       肥後四郎兵衛の尉
   加治中務左衛門の尉   藤田新左衛門の尉    齋藤五郎左衛門の尉
   宇間左衛門の尉     大學の允        稲毛兵衛太郎
   豊前四郎左衛門の尉   平賀の新三郎      葛西の又太郎
   狩野五郎左衛門の尉   小泉の五郎       大多和新左衛門の尉
   河野左衛門四郎     阿保次郎左衛門の尉   金子平次左衛門の尉
   河内左衛門太郎     阿保左衛門三郎     高水右近三郎
   阿保左衛門四郎     齋藤の六郎       平賀の彌四郎
   黒澤太郎兵衛の尉    豊前八郎左衛門の尉   山内兵衛三郎
   越前の五郎       雅楽左衛門太郎     豊前宮内左衛門太郎
   大泉の九郎       大須賀新左衛門の尉   備中右近大夫
   和泉七郎左衛門の尉   長門の三郎
  時刻に将軍家出御す(御束帯)。土御門中納言御簾を上ぐ。
   御劔   武蔵の前司朝直
   御弓箭  尾張の前司時章
   御行騰沓 越後の守實時
   一の御馬 遠江の七郎時基     工藤次郎左衛門の尉高光
   二の御馬 陸奥の七郎業時     南條新左衛門の尉
   三の御馬 新相模の三郎時村    安東刑部左衛門の尉
   四の御馬 城四郎左衛門の尉時盛  同五郎重景
   五の御馬 出羽三郎左衛門の尉行資 同七郎行頼
 

1月2日 壬子 霽
  御行始め供奉の為、小侍所に仰せ昨日着庭の人数を書き注し、御点を申し下す。和泉
  の前司行方これを奉行す。今日の椀飯奥州禅門の沙汰。
   御簾   土御門黄門
   御劔   尾張の前司時章
   御調度  下野の前司泰綱
   御行騰沓 太宰権の少貳景頼
   一の御馬 新相模の三郎時村    式部太郎左衛門の尉光政
   二の御馬 武蔵の五郎時忠     同八郎頼直
   三の御馬 肥後次郎左衛門の尉為時 同三郎左衛門の尉
   四の御馬 梶原太郎左衛門の尉景綱 同三郎景氏
   五の御馬 陸奥の七郎業時     原田籐内左衛門の尉
  椀飯の後、将軍家相州禅室の御亭に御行始め。
  供奉人(布衣・下括り)
  五位          (御劔を持つ)
   武蔵の前司朝直     尾張の前司時章     遠江の前司時直
   越後の守實時      越後右馬の助時親    刑部少輔教時
   尾張左近大夫将監公時  遠江右馬の助清時    武蔵左近大夫将監時仲
   中務権大輔家氏     秋田城の介泰盛     出羽の前司行義
   下野の前司泰綱     後藤壱岐の前司基政   和泉の前司行方
   参河の前司頼氏     上総の前司長泰     内蔵権の頭親家
   武藤少卿景頼      丹後の守頼景
  六位
   相模の三郎時利     遠江の七郎時基     備前の三郎長頼
   陸奥の七郎業時     足利上総の三郎満氏   長井の太郎時秀
   出羽次郎左衛門の尉行有 式部太郎左衛門の尉光政 佐渡五郎左衛門の尉基隆
   周防五郎左衛門の尉忠景 隠岐次郎左衛門の尉時清 武藤次郎左衛門の尉頼泰
   和泉三郎左衛門の尉行章 壱岐新左衛門の尉基頼  薩摩七郎左衛門の尉祐能
   常陸次郎兵衛の尉行雄  一宮次郎左衛門の尉康有 加藤左衛門の尉景経
   武藤左近将監兼頼    鎌田三郎左衛門の尉義長 同次郎兵衛の尉行俊
  御遊已後、御引出物を献らる。役人、
   御劔 刑部少輔教時
   砂金 出羽の前司行義
   羽  秋田城の介泰盛
   一の御馬 相模の三郎時利     工藤三郎左衛門の尉光泰
   二の御馬 備前の三郎長頼     工藤次郎左衛門の尉高光
   三の御馬 筑前次郎左衛門の尉行頼 同五郎行重
  晩に及び勝長寿院の惣門(四足)上棟なり。元は門無し。始めてこれを建てらる。縫
  殿の頭師連その所に向かう。大工(布衣を着す)御馬・御衣等を賜う。今日は天火日
  たるの由嫌い申すの輩有りと雖も、また宥め申す輩有るの條これを遂げらると。
 

1月3日 癸丑 晴
  椀飯(相州御沙汰)。御簾役昨の如し。
   御劔   越後の守實時
   御調度  左近大夫将監公時
   御行騰沓 和泉の前司行方
   一の御馬 陸奥の七郎業時     稲毛左衛門の尉
   二の御馬 備前の三郎長頼     廣河五郎左衛門の尉
   三の御馬 越後の四郎時方     伊賀三郎左衛門の尉實清
   四の御馬 式部太郎左衛門の尉光政 伊賀左衛門三郎朝房
   五の御馬 新相模の三郎時村    糟屋左衛門三郎行村
 

1月6日 丙辰
  御的始め射手の事、内々人数を定めらる。何箇度と雖も旧参を撰び用いらるべきの旨、
  相州禅定の厳命有り。而るに知久右衛門五郎は、多年勤仕の射手たりと雖も、当時信
  濃の国に在り。仍って今度風記に漏れらるるの処、諏方兵衛入道蓮佛、今明の間定め
  て参上すべきの由挙げ申すに就いて、書き載せらると。蓮佛去る比飛脚を彼の国に遣
  わすと。
  射手の風記
   渋谷左衛門太郎     横路左衛門次郎   平新左衛門の尉
   本間彌四郎左衛門の尉  諏方四郎兵衛の尉  横溝の彌七
   周枳兵衛四郎      工藤の彌三郎    知久右衛門五郎
   萱間左衛門次郎     岡本新左衛門の尉  小嶋の彌次郎
 

1月7日 丁巳
  来十日鶴岡八幡宮に御奉幣有るべきに依って、供奉人として、椀飯の間の着到を進覧
  し、御点を申し下し、その衆に相触れらるる所なり。
  彼の着到に載すと雖も御点に漏れる人々、
   武蔵の五郎     上総の三郎     越後の又太郎  出羽の七郎
   那波刑部権の少輔  江石見の前司    対馬の守    周防の守
   摂津大隅の前司   縫殿の頭      梶原上野の介  石見の守
   上野太郎左衛門の尉 越中四郎左衛門の尉 長門の三郎   大隅修理の亮
   周防三郎左衛門の尉 同五郎左衛門の尉  長井判官代   備中右近大夫
   梶原上野の三郎     和泉六郎左衛門の尉   同七郎左衛門の尉
   薩摩の九郎       同十郎         大須賀新左衛門の尉
   同四郎         隠岐次郎左衛門の尉   太宰肥後次郎左衛門の尉
   同三郎左衛門の尉    善右衛門の尉      善五郎左衛門の尉
   筑前四郎左衛門の尉(本より故障) 同五郎    紀伊次郎左衛門の尉
   内藤豊後三郎左衛門の尉 山内三郎左衛門の尉   進三郎左衛門の尉
   太宰肥後左衛門三郎   平賀の新三郎      狩野五郎左衛門の尉
   善兵衛太郎       土肥左衛門の尉     渋谷左衛門の尉
   内藤肥後三郎左衛門の尉 出雲権の守       長又太郎左衛門の尉
   後藤四郎左衛門の尉   大多和左衛門の尉    阿保左衛門太郎
    この内、後日また少々御点有りと。
 

1月8日 戊午 晴
  評定始めを行わる。相州・武州、人々出仕し給う。その後心経会有り。将軍家二棟の
  御所に御出で。
 

1月10日 庚申 晴
  将軍家鶴岡宮に御参り。
  御出の行列
  前駈八人(下臈先を為す)
   赤塚左近蔵人資茂   備中判官代定忠    押立左近大夫資能
   安藝掃部大夫親定   美作左近大夫泰朝   近江の前司季實
   備中左近大夫将監景茂 少輔左近大夫将監佐房
  次いで殿上人(下臈先を為す)
   尾張侍従清時     二條侍従雅有     姉小路兵衛の佐忠時
   坊城少将公敦     中御門中将公寛朝臣  一條中将能基朝臣
  次いで公卿
   刑部卿宗教      二條三位教定     仁和寺三位顕氏
   花山院宰相中将長雅  土御門中納言顕方(等交り宮中に参会す)
  次いで御車
   周防五郎左衛門の尉忠景 隠岐次郎左衛門の尉晴清 山内三郎左衛門の尉通廉
   薩摩の十郎公員     土肥の四郎實綱     狩野左衛門四郎景茂
   肥後三郎左衛門の尉   大泉の九郎長氏
   平賀の新三郎維時(已上直垂・帯劔、御車の左右に候す)
  御劔役  武蔵の前司朝直
  御調度  武藤次郎左衛門の尉頼泰
  御後
  五位(布衣・下括り)
   相模式部大夫時廣    刑部少輔教時      越後右馬の助時親
   尾張左近大夫将監公時  武蔵左近大夫将監時仲  民部権大輔時隆
   中務権大輔家氏     出羽の前司行義     小山出羽の前司長村
   参河の前司頼氏     和泉の前司行方     長門の前司時朝
   内蔵権の頭親家     後藤壱岐の前司基政   日向の前司祐泰
   丹後の守頼景      上総の前司長泰     太宰の少貳景頼
  六位(同前)
   相模の三郎時利     陸奥の七郎業時     備前の三郎長頼
   遠江の七郎時基     長井の太郎時秀     下野の四郎景綱
   佐渡五郎左衛門の尉基隆 出羽次郎左衛門の尉行有 梶原太郎左衛門の尉景綱
   式部太郎左衛門の尉光政 壱岐新左衛門の尉基頼  薩摩左衛門の尉祐能
   一宮次郎左衛門の尉康有 加藤左衛門の尉景経   伊勢次郎左衛門の尉行経
   鎌田三郎左衛門の尉義長 同次郎兵衛の尉行俊   武藤左近将監兼頼
  この外
   遠江の次郎       宮寺蔵人
    已上両人、催せられずと雖も推参すと。
 

1月11日 辛酉
  御的始めの射手を撰定せらる。已上十三人、二五度なり。而るに藤澤左近将監時親と
  岡本新兵衛の尉重方と番わるるの処、重方遅参するの間、横溝の七郎五郎忠光を以て
  時親の合手と為す。重方後の五度よりこれを射る。
   一番 二宮の彌次郎時元    知久左衛門五郎信貞
   二番 小笠原の彦次郎政氏   横路左衛門次郎長重
   三番 平新左衛門三郎頼綱   加久帳小次郎忠景
   四番 周枳兵衛四郎頼泰    小嶋の彌次郎家範
   五番 多賀谷の彌五郎重茂   横溝の彌七郎
   六番 藤澤左近将監時親    横溝の七郎五郎忠光
   七番 岡本新兵衛の尉重方(遅参、初めの五度はこれを射らず)
 

1月15日 乙丑
  御所の弓場に於いて御弓始め有り。射手十人、一五度これを射る。而るに山城三郎左
  衛門の尉近忠は、兼日仰せられざるの間、撰定せらるるの時参らずと雖も、期に臨み
  これを召し加えらる。今年然るべき射手少なきに依ってなり。弓箭の面目たりと。
   一番 二宮の彌次郎時元    横路左衛門次郎長重
   二番 山城三郎左衛門の尉近忠 知久左衛門五郎信貞
   三番 藤澤左近将監時親    多賀谷の弥五郎重茂
   四番 周枳兵衛四郎頼泰    横溝の彌七郎忠景
   五番 岡本新兵衛の尉重方   小嶋の彌次郎家範
 

1月17日 丁卯 霽
  丑の刻秋田城の介泰盛の甘縄の宅失火す。南風頻りに扇き、薬師堂の後山を越え寿福
  寺に到り、惣門・仏殿・庫裏・方丈已下郭内一宇も残らず。余炎新清水寺窟堂並びに
  その辺の民屋・若宮宝蔵・同別当坊等焼失す。
 

1月20日 庚午 晴
  勝長寿院の御塔、本在所を改め、東山の麓を以てその所と為す。
 

1月21日 辛未 晴
  勝長寿院の諸堂礎を居ゆ。
 

1月22日 壬申
  若宮御影堂並びに雪下別当坊等上棟なり。
 

1月24日 甲戌 晴
  勝長寿院の四足脇門造畢す。明日二十五日より二月節たるの間、急速の営作を修せら
  ると。
 

1月27日 丁丑
  殊なる御願に依って御劔を二所大神宮に奉らる。豊前弾正忠これを奉行す。