1258年 (正嘉2年 戊午)
 
 

2月8日 戊子
  若宮の御影御正躰等遷御すと。
 

2月13日 癸巳 晴陰不定
  今日故中武州十三年の御追福の奉為、最明寺に於いて七箇日の五種行を始行せらる。
  相州禅室法主たり。殊に丁寧を致せしめ給うと。
 

2月18日 戊戌 晴
  勝長寿院の諸堂塔婆柱立てなり。武蔵の前司朝直朝臣監臨せらると。
 

2月19日 己亥 霽
  最明寺五種行今日結願す。導師は信承法印。普賢菩薩像並びに法華経二部を供養せら
  る。内一部は聖霊の遺札を漉き、眞文料紙たり。第一巻は、法主手自らこれを書写し
  給う。已下七巻は、弘誓院亜相家の手跡を習うの輩に課す。故に以てその功を終えら
  る。これ則ち法主と云い聖霊と云い、彼の風情を好ましめ給うが故なり。唱導言語詳
  らかにして委しくその旨趣を述ぶ。結縁の緇素皆鳴咽すと。
   清和天皇崩御の後、東御息所御恋慕悲歎の余り、朝夕進せらるる所の数百合の勅書
   を漉き、若干の大小乗経を書写せらる。橘贈納言廣相御願文を草す。同心契恋蓮華
   偈・匪石詞入□字門の句を載すと。薄墨の色紙経例をこの時に始む。古今事異なる
   と雖も、その志すでに相同ずか。
 

2月25日 乙巳 霽
  将軍家二所御精進始め。御浴潮せんが為申の刻御浜出(御水干)。土御門中納言(水
  干)・武州・相模の太郎殿・武蔵の前司朝直・左近大夫将監公時・陸奥の七郎業時・
  修理の亮久時・摂津権の守以下の輩供奉す。
 

2月28日 戊申 晴
  将軍家御濱出(中の御塩)。今日評議有り。将軍家明年御上洛有るべきの事なり。仍
  ってその旨を存知るべきの由、諸国の御家人等に触れ仰すと。