1260年 (正元2年、4月13日 改元 文應元年 庚申)
 
 

11月8日 辛未
  深栖兵庫の助の孫平嶋蔵人太郎重頼小侍の番帳に入る。和泉の前司行方仰せを奉り小
  侍に触ると。
 

11月10日 癸酉
  明日の御的始め射手の事これを差し定めらる。相模の太郎殿・越後の守等奉書を下さ
  る。
 

11月11日 甲戌
  二所御参詣の事、来十九日これを始めらるべし。仍って供奉人の間の事催促せらるべ
  きの趣、和泉の前司行方仰せを奉り、越州並びに相模の太郎殿に触れ申す。而るに卿
  相雲客の事は、御所奉行の沙汰たるに就いて、例に任せ行方をして催促せしむべきの
  処、小侍方奉行の事に加え、催せらるべき由を申すの條、聊か徳令に背き宿むなり。
  すでに両人の所存に背くの間、忽ち彼の公卿等の散状を行方に返し遣わさると。その
  状に云く、
   二所御参詣供奉人の間の事仰せ給うの趣、その意を得ざり候の間、所給の注文等返
   し進せ候。恐々慎言。
     十一月十三日         時宗
   和泉の前司殿(御返事)      實時
 

11月15日 戊寅 [続史愚抄]
  大甞會国司賞叙位を行わる。殿上淵酔す。
 

11月16日 己卯 晴
  亥子雨、時々雷鳴数声。
 

11月18日 辛巳
  二所御参詣御精進の事、明日は延引し、二十一日たるべきの由治定す。仍って武州そ
  の趣を小侍所に触れ仰せらる。周東兵衛五郎御使たり。また来二十二日御息所御見物
  の為始めて御浜出の躰、密々小山出羽の前司若宮大路の家に出しめ御うべし。二所供
  奉人を除き、別して供奉人に差し進すべきの由仰す。武州同じく下知せしめ給うと。
 

11月19日 壬午
  来二十一日精進の浴潮せしめんが為御浜出の事、御所中の御精進に御息所明日他所に
  出で給うべき事、両條その沙汰有り。供奉人は各々直垂・折烏帽子たるべきの由相触
  れらる。且つは御教書を下さるる所なり。今夕二所御参詣の間歩行供奉人等の事、御
  前に於いて御沙汰有り。新右衛門の督・花山院中納言・後藤壱岐の前司・武藤少卿等
  その砌に候すと。
 

11月20日 癸未
  御物詣で供奉の間領状の輩の中、一両輩障りを申す事有り。所謂、
   後藤次郎左衛門の尉(只今軽服の次第出来するの由申す)
   上総三郎左衛門の尉(俄に所労の由申す)
 

11月21日 甲申
  将軍家二所御精進を始めしめ御うべきに依って、中御所陸奥入道の亭に入御す。
  供奉人
   相模の太郎       同四郎重政       同三郎時利
   同七郎宗頼       越前の前司時廣     尾張左近大夫将監公時
   遠江右馬の助清時    陸奥左近大夫将監義政  弾正少弼業時
   越後の四郎時方     木工権の頭親家     壱岐の前司基政
   上総の前司長泰     武藤少卿景頼      出羽大夫判官行有
   式部太郎左衛門の尉光政 城の六郎顕盛      和泉三郎左衛門の尉行章
   周防五郎左衛門の尉忠景 武藤左衛門の尉頼泰   信濃次郎左衛門の尉時清
   大曽彌太郎左衛門の尉長頼 薩摩七郎左衛門の尉祐能
 

11月22日 乙酉 晴
  将軍家二所参詣の御精進を始めらる。仍って浴潮せしめんが為、由比浦に出御有るの
  間、御見物の為、中御所小山出羽の前司長村若宮大路の家に入御す。
  御輿
   三浦六郎左衛門の尉頼盛      遠江十郎左衛門の尉頼連
   佐々木対馬太郎左衛門の尉頼氏(各々御輿の左右に列歩す)
  御後の供奉人(騎馬)
   新相模の三郎時村    遠江の七郎時基(以上御輿寄せ)
   宮内権大輔時秀     秋田城の介泰盛     対馬の前司氏信
   加賀の守行頼      丹波の守頼景      城四郎左衛門の尉時盛
   同彌九郎長景
  申の刻御出で(御手水、騎馬に列す)。供奉の卿相雲客皆水干を着す。その外武州・
  相模の太郎殿以下は直垂。還御の時は公私浄衣と。
 

11月24日 丁亥 天晴
  将軍家中潮の為御浜出で。
 

11月26日 己丑 晴
  玄蕃の頭丹波長世、去る十五日従四位上に叙す。仍って今日彼の除書を御所に持参す。
  これ去る八月将軍家御悩の時医療を施すの賞なり(その由尻付有り)。
 

11月27日 庚寅 晴
  卯の刻将軍家鶴岡宮に御参り。辰の刻二所御進発。
  供奉人(行列を立てられず)
  先陣の随兵十騎
  次いで御引馬
  次いで御弓袋差し
  次いで御甲着け
  次いで御冑持ち
  次いで御小具足持ち
  次いで御調度懸け
  次いで御先達
   伊豫法眼教尊
  次いで御駕
   後藤壱岐左衛門の尉基頼 薩摩七郎左衛門の尉祐能 同十郎左衛門の尉
   周防五郎左衛門の尉忠景 上総太郎左衛門の尉長経 甲斐五郎左衛門の尉為定
   大須賀五郎左衛門の尉信泰 武石新左衛門の尉長胤 隠岐三郎左衛門の尉行氏
   同四郎兵衛の尉行廣   伊東次郎左衛門の尉盛時 佐渡左衛門太郎基秀
   鎌田三郎左衛門の尉義長 平賀四郎右衛門の尉泰實 葛西の又太郎定廣
   萩原右衛門の尉定仲   鎌田次郎左衛門の尉行俊 小河左衛門の尉時仲
   大泉の九郎長氏     平岡左衛門の尉實俊
    以上歩行、御馬の左右に候す。
  次いで御劔役人
   太宰の少貳景頼
  次いで御後
   新右衛門の督顕方    花山院中納言長雅    讃岐の守忠時朝臣
   中御門新少将實隆朝臣  二條少将雅有朝臣    陸奥左近大夫将監義政
   弾正少弼業時      越前の前司時廣     尾張左近大夫将監公時
   相模の四郎宗政     同三郎時利       同七郎宗頼
   越後の四郎時方     武蔵の五郎時忠     壱岐の前司基政
   木工権の頭親家     刑部権の少輔政茂    伊賀の前司時家
   周防の前司忠綱     上総の前司長泰     出羽大夫判官行有
   隠岐大夫判官行氏    甲斐の守為成      千葉の介頼胤
   図書の頭忠茂朝臣    権天文博士為親朝臣   玄蕃の頭長世朝臣
   安藝右近大夫親経    能登右近蔵人仲家    上野の三郎国家
   阿曽沼の小次郎光綱   大須賀新左衛門の尉朝氏 鎌田図書左衛門の尉信俊
   進三郎左衛門の尉宗長
  後陣の随兵十騎
  今日相州(政村)一日経を頓写せらる。これ息女邪気に悩む。比企判官能員の女子の
  霊託に依って、彼の苦患を資けんが為なり。夜に入り供養の儀有り。若宮の別当僧正
  を請じ唱導と為す。説法の最中、件の姫君悩乱し、舌を出し唇を舐り、身を動かし足
  を延ばす。偏に蛇身の出現せしむに似たり。聴聞の為霊気来臨するが由と。僧正加持
  せしむの後、惘然として言を止む。眠るが如くして復本すと。
 

11月28日 辛卯 晴
  筥根に御奉幣し御う。山の衆徒等湖上に船を浮かべ延年す。垂髪廻雪の袖を翻し、歌
  舞の曲を尽くす。
 

11月29日 壬辰 陰
  夜半三嶋社に詣でしめ御う。御奉幣暁天と。
 

11月30日 癸巳 雨降る
  伊豆山に御参り。