2月2日 甲午 霽
今年は辛酉なり。仍って将軍家御祈り等を行わる。天地災変は宣賢朝臣、天冑地府は
資俊朝臣、七座の泰山府君は晴秀・国継・泰房・晴成・以平・泰継・文元。霊所七瀬
祭は職宗・茂氏・重氏・晴尚・親員・晴行・維行。和泉の前司行方これを奉行す。
2月7日 己亥 霽
将軍家二所御精進始め。未の刻御息所鶴岡宮に詣でしめ御う(御下向の後初度)。先
ず茂氏(束帯、役送)中御所に参り御祓いを勤む。弾正少弼業時陪膳に候す。周防五
郎左衛門の尉役送に候す。御禊ぎは越前の前司、役送は信濃次郎左衛門の尉。供奉人
浄衣を着す。将軍家御精進中の参籠人供奉すべきの由、兼日その定め有りと雖も、人
数不足の間これを催加せらると。
供奉人浄衣
(御輿寄せ)武蔵の前司朝直(共侍浄衣・立烏帽子、同中間浄衣・折烏帽子)
尾張の前司時章(侍同。中間白の直垂) 同左近大夫将監(侍白の直垂。中間同上)
弾正少弼(侍一人浄衣) (御劔役)越前の前司(侍一人同上。中間浄衣)
越後の四郎顕時 相模の三郎時輔(侍折烏帽子・浄衣、中間同上)
同七郎宗頼(侍一人立烏帽子・浄衣、中間直垂) 遠江の七郎時基(同上)
木工権の頭(雑色一両輩相具す)
和泉の前司行方(浄衣・折烏帽子少々相具す。また浄衣の小舎人童有り)
同三郎左衛門の尉行章 秋田城の介(雑色を具す) 同六郎顕盛
武藤少卿景頼(雑色を具す) 日向の前司祐泰
周防の前司忠綱(浄衣少々相具す) 同五郎左衛門の尉忠景(同上)
加賀兵衛大夫親氏 常陸次郎左衛門の尉行清
(御幣)信濃次郎左衛門の尉時清 出羽七郎左衛門の尉行頼
薩摩七郎左衛門の尉祐能 土肥四郎左衛門の尉實綱
隠岐四郎左衛門の尉行長 武石新左衛門の尉長胤
2月11日 癸卯 霽
二所奉幣の御使相模の三郎時村主進発す。今日鶴岡臨時祭なり。尾張の前司時章奉幣
の御使たり。
2月15日 丁未 雨降る
申の刻二所奉幣の御使相模の三郎帰参す。今日走湯山より帰着すと。
2月20日 壬子 天晴 未の刻春雨屡々灑ぐ
修理替物用途並びに椀飯役の事百姓に宛て課す事、永くこれを停止す。地頭得分を以
て沙汰を致すべきの由これを定めらる。今日鶴岡八幡宮に於いて仁王会を行わる。講
師は宮寺の別当僧正隆弁、読師は弁法印審範(当社学頭)、請僧百口(勝長寿院・永
福寺・大慈寺・鶴岡等、四箇所の供僧分八十三口、十七口は長福寺・安祥寺両僧正並
びに左大臣法印厳恵等宿老の僧綱等、宮寺の計としてこれを請じ加う)。安藝左近大
夫親綱(左の所役)・伊達右衛門蔵人(右の所役)等布施を取る。宗民部十郎・矢部
の次郎太郎等手長たり。中山城の前司盛時これを奉行す。
請僧
左方 右方
(新阿弥陀堂)法印権大僧都清尊 房源
(永福寺)権少僧都道曜 (永福寺)雅賢
(大慈寺)長尊(釈迦堂) (勝長寿院)聖尊
(鶴岡)定憲 (勝長寿院法印弟子)俊承
(鶴岡)慈暁 (永福寺)暹慶
(永福寺)圓譽 (安祥寺僧正弟子)印教
(新阿弥陀堂)兼伊 (同)重賢
自余これを略す。
仏布施
出羽絹百疋
誦経物
奥布百端(並安寺)
講師
綾の被物三重 絹の裹物一(奥布三段を納む) 上絹十疋
染絹一端 白布一段(これを結ぶ) 浅黄十端
色革一枚 供米一石(短冊。後日これを送る)
読師(講師に同じ)
別布施
綾の被物一重 紙の裹物一 袋米一(立文の短冊を以て裹物の上に置く)
[続史愚抄]
今年辛酉革命に当たるや否や陣に於いて議定す。上卿左大臣公相、已次右大臣公親、
已下十人奉仕す。次いで改元定め有り。上卿已下同じ。文應を改め弘長と為す。革命
に依ってなり。詔書・赦・吉書恒の如し。
2月25日 丁巳
海道の駅馬・御物送夫の事、御使の上下向毎度定数を犯すに依って、土民及び旅人の
愁いたるの由頻りに上聴に達するの間、今日六波羅に仰せらるる所なり。その状に云
く、
早馬の事
宿々二疋を定め置かるるの処、急事に非ずと雖も、近年連々下向の輩、或いは三四
疋、或いは四五疋着帳に申し載せ、役所を煩わし路次に於いて狼藉を致すの由その
聞こえ有り。尤も不便なり。自今以後殊に率爾の事に非ざるの外、先例に任すべき
の状、仰せに依って執達件の如し。
文應二年二月二十五日 武蔵の守
相模の守
陸奥左近大夫将監殿
京下の御物送夫の事
京下の御物送夫、雑掌の申請に任せ左右無く下知せしむに依って、人夫多々の間、
民の煩い尤も不便なり。自今以後人夫を申請するの時、御物の多少を見知らしめ、
人数を定め着帳に載すべきなり。且つは私物の送夫に於いては、一向停止せしむべ
きなり。兼ねてまた夫役、事を左右に寄せ路次に於いて狼藉を致すべからざるの由、
下知を加えらるべきの状、仰せに依って執達件の如し。
文應二年二月二十五日 武蔵の守
相模の守
陸奥左近大夫将監
2月26日 戊午 霽
改元の詔書参着す。去る二十日文應二年を改め弘長元年と為す。
2月29日 辛酉 天霽
関東御分の寺社、殊に仏神事を興行すべきの由、日来その沙汰有り。今日これを始行
せらる。
一、諸社の神事勤行の事
祭、豊年奢らず、凶年倹せず。これ礼典の定める所なり。而るに近年神事等、或い
は陵夷し古儀に背き、或いは過差し世費を忘る。神慮測り難し。人何ぞ益や有らん。
自今以後、恒例の祭祀陵夷を致さず、臨時の礼奠過差せしむこと勿れ。
一、本社を修造すべき事
有封社は、代々の符に任せ、少破の時且つは修理を加え、もし大破に及び子細を言
上せば、その左右に随いその沙汰有るべきの由、定め置かれをはんぬ。而るに近年
社司恣に神領の利潤を貪り、社壇の破損を顧みること無し。啻に神慮を恐れざるの
みならず、専ら公平を忘ると謂うべし。自今以後、この制法に背く輩に於いては、
その職を改補せらるべし。
一、法の如く諸堂年中行事等を勤行せしむべき事
右諸堂の勤め、恒例限り有り。而るに供僧等、纔に勤修の名有りと雖も、更に誠信
を抽んずるの志無し。その職に補せらるるの始め、法器の清撰有りと雖も、その職
に補せらるるの後、多く浅臈の代官を用い、然るの間オウ弱の手代を以て、厳重の
御願を勤む。太だ然るべからず。禁忌並びに所労を現すの外は、代官を用いる事一
切これを停止せしむべし。兼ねてまた供料不法に未だ下さず相積もるの由、諸堂訴
訟有りと。雑掌と云い寺務と云い、有限の役所を知行しながら、何ぞ応輸の済物を
遁避すべきや。而るに引付に於いてその沙汰有りと雖も、猶以て事行われざるか。
殊に厳重の沙汰有るべきの由、重ねて面々引付に仰せ下さるべし。この上不法の雑
掌有らば、奉行人の注し申すに随い、その職を改易せらるべし。
一、諸堂の執務人本尊を修造せしむべき事
右、神社修理の條に准え、その沙汰有るべし。
一、仏事の間の事
右堂舎供養の人・報恩追善の家、涯分を測らず多く家産を費やす。事を供仏施僧の
勤めに寄すと雖も、猶民庶黎元の煩いを成さざると云うこと莫し。還って罪根を招
くべし。更に善苗を殖えるに非ず。偏にこれ名聞に住すが故か。冥に付け顕に付け
その何れの益や有らん。自今以後、仏事を修すの人、ただ浄信を専らにし宜しく過
差を停止すべし。
また関東祇候の諸人家屋の営作、出仕の行粧以下の事、過差を停止せしむべきの由こ
れを定めらると。この外厳制数箇條なり。後藤壱岐の前司基政・小野澤左近大夫入道
光蓮等奉行たり。
一、放生会の桟敷倹約を用ゆべき事
一、博奕を停止すべき事
一、鎌倉中の橋修理並びに在家の前々掃除すべき事
一、病者・孤子・死屍を路辺に棄てるを禁制すべき事
一、念仏者女人以下を招き寄せる事
一、僧徒頭を裹み鎌倉中に横行する事(保々に仰せこれを禁ずべし)
一、鷹狩りは神社供祭の外停止せしむべき事
一、早馬の事
変急有るの時、聞達せんが為なり。而るに近代大事に非ずと雖も、早速を以てそ
の詮と為す。頗る人馬の煩いたり。然れば自今以後、殊なる重事に非ざるの外、
急速の儀を止むべきの由、六波羅に仰せらるべし。
一、長夫の事
百姓等その歎き有り。一向これを止めらるべきと雖も、鎌倉祇候の御家人等、還
ってまたその愁い有るべし。然れば自今以後、同じく日食を宛て給い、これを召
し仕うべし。
[鎌倉幕府法弘長元年二月二十日新制]